お久しぶりです。

 なんかいろいろかわってた。


 大掃除を放棄しました。もうそんなことをする気も起きず、という感じだったので。とにかくもやもやしてたので出かけてやる!と久しぶりに高校時代の友人Kさんと会ってきたのですが、これはこれでちょっとタイミング悪かったかな……。

 梅田のmusという蒸し料理専門店に行ってきました。OLさんとかがすきそうだなー!という感じのお店です。いやおいしかったですけどね普通に。身体にもよさそうだし。

 でまあ久しぶりにあったKさんといろいろ語り合っていたわけですが、以下つらつらと考えること。

 私はかなり自分本位な人間なので、自分のことは自分で決められると思っているし、決めたいと思ってます。そして自分がそうだったら、きっと他人も自分のことは自分で決めてるんだろう、と思ってます。だけどわりとそうではない、ということも理解して、人には人の事情がある、ということもよくわかりました。なので自分にかかわってくる範囲外のことはどうでもいいし、自分が気にしなくてはいけないところに介入してきたときのみ他人のことを気にする、というスタンスでいます。

 だからこそ、他人に何かを決められることは嫌います。たとえば占いとかを信じたくないわけです。良いときは素直に喜んでますけど、悪いことが書いてあると、「勝手にお前に悪いって言われたくないわ!」と言い返したくなるわけです(笑) こういうのが向いてるんじゃない?と提案されるとそうかな、という気になりますけど、これお前向いてないよ、とか言われるとイラッっとします。たとえ本当に向いてなかったとしてもやってみてから自分で判断するわ!みたいな。

 まずそこがひとつ。

 あとは単純にコンプレックスの問題なんですが、私はたぶん「女性らしくあることを強要される」のが一番苦手なんだと思います。まあ女性らしさとは何か、っていうとジェンダー論で違う方向にいっちゃうんですけど、たとえば一般的に甘味、服飾、化粧、趣味などにおける女性っぽいもの、についてが苦手です。

 甘味や趣味はまだいいんですよ。ぱっと見はわからないから。まだ会社でも甘いものがそんなに好きじゃないことは言ってないし、そのおかげで知らなかった甘味知識が身についてよかったなと思います。そもそも興味がないので自分から学ぶことをしないわけで、それを強制的に見つけさせられる環境であるということは喜ばしいなと。食べても何がおいしいのか全然わからないけど、たとえば手土産とかを買って帰るときにすごい参考になるわけです。これはなんとなくクリア。

 趣味も、他人とは関係ないから「渋いね」とか「若いのに珍しいね」で流してもらえるからいいんです。最近は若い女性はいろいろやっていることになっているので、たとえ甲子園で野球を応援しようが夜行バスに飛び乗って全国津々浦々旅をしてようがなんでもいいわけです。

 化粧もね、頑張ってます。さすがにTPOというものがあるのと、お金に余裕ができたのと、一回方法さえ覚えればそれを毎日繰り返せばいいだけだから。わりと友達が「こうしたほうがいいよ」とか「これがおすすめ」とか教えてくれるのでそれを参考に、ひとつ使っては合う合わないを考えていけばいいわけですし。実際に肌とか髪の毛とか、見てわかるものだから変化もわかるし、まだ健康のためと思えばいろいろやる気も起きます。

 なのでだいぶコンプレックスはひとつずつつぶしてきたんですが、服飾が未だに大いなるコンプレックスとして残っているわけです。そもそも興味がない。だから考えるのが面倒。お金を使う意義もあまり見出せない。なのに一番評価される部分は服飾である、というのがもうきつくてきつくて!

 特に精神的に落ちてくるとウィンドショッピングも苦痛になります。頼むから誰か私が何を着ればいいのか決めてくれ!と本気で思います。それぐらい嫌になります。毎日スーツで暮らしたいと本気で思います。何回「男だったら楽なのに」と思ったかしれません。なんだったらネクタイとかシャツとかカフスとかタイピンとか時計とかそういうほうが断然興味ありますからね!

 ファッション雑誌は見ても楽しくないし、何がいいのか悪いかもわからないし、価値基準も評価基準もあまりに多様すぎて正直頭がくらくらするわけですよ。もちろん今の状態がかなり悪いのであって、もう少し気分的に浮上すれば服欲しいなーなんていえたりするわけですけどね。

 幸いなことに今私のまわりにはそれで私を評価するような人はいないので気にせずに生きてきたんですが、世間の人々がそうでないことぐらいわかります。またそれで人に与える印象が違うということも。いくら心が錦でもぼろを着てたら意味を成さない世の中だってことぐらいわかってますよ。

 とまあつらつら書きましたが、どうもやっぱりおしゃれで人の評価を決められてしまうことに関するコンプレックスがあるみたいですね。そこがもうひとつ、という感じですかね。

 ちょっと調子に乗ってきたのでジェンダーについても語ってみたいんですが、私は普段女性であるということを意識して生きてないわけですよ。自分がひとりの人間であるということに関して自覚はありますが、自分が女性である、ということに特に自覚がないわけです。もちろん生物学上は女性だし、体だって女性だし、それは間違いないのでもちろんそうなんですが、それを普段意識して生きてないんですよ。

 今ちょいと調べてみたらXジェンダーっていう言葉が出てきたんですが、それに近いのかな? とにかく私は女性だからこうするべきだ、とか女性とはかくあるべきだ、っていうのがまったくないわけです。それよりも人としてこうするべきだ、とか人としてかくあるべきだ、っていうのが大前提なんで。仕事にしても趣味にしても。

 だからそれを意識させられる場面ていうのはすごい恐怖心があります。女性であることを求められる、というのがさっきも書きましたけど苦手で。さらにいうとそれで評価をされてしまうんじゃないかという恐怖もあります。ていうか実際評価されて失敗することもあるわけで。

 私はジェンダー的には男性の方が合っているので、どうしてもそっちに居た方が楽だし、別に女性らしさがないわけではない(たとえば求めらるであろう細やかな気遣いなど)ので今までずっとこっちがわにいたわけですけど。だって女性社会って面倒くさいんだもの。(ざっくり)

 もちろんそんなこと気にしない、という男性・女性ともに私のまわりには沢山いてくれるので助かってるしうまく社会生活が送れてるわけですけどね。これから先もしかしたらもっと向き合わなくてはいけないときがくるのかなーと思ったりもします。

 今日はここまで。