レッツ高野山。

すんごいオープン!


 一度台風で断念した高野山リベンジ。ということで朝8時にYちゃんちにお迎えです。途中のスーパーで弁当を買い込み、そこから車をぶっとばして一路高野山を目指します。一応カーナビの予定では3時間ぐらい、と出てたのですが間に休憩をはさんでも2時間半で到着しました! ほとんどバイパスを通っていけたので大変なのは最後の山道ぐらいですね。意外と近いです、高野山。少なくとも比叡山よりは行きやすい!

 車中延々ゲームの話やあれこれ熱く語っていたら高野山のど真ん中に到着。ひとまずどっかの駐車場に止めて……と思って走らせていくと、なんと駐車場が無料ではありませんか! てっきり有料だと思い込んでいたのでまずそこで好感度UP。しかも駐車場の出口で近くの地蔵寺で今日地蔵まつりやってますからーとチラシをもらい、てくてく歩いていくとお坊さんに「この中で今修復作業の展示やってますー世界にひとつだけのこうやくん(高野山マスコット)の自販機もありますー」とうちわもらったり。あれ、高野山ってこんなテンションなの!?とびっくりするぐらいフランクでフレンドリーでオープンでした。比叡山のイメージが強かったのでそこでまずびっくりです。

 とりあえず金剛峰寺かな?と思って見てみたんですが、明治期までは高野山全体を金剛峰寺って呼んでたみたいですね。現在の金剛峰寺はもともとは青巖寺と興山寺という秀吉ゆかりのお寺(青巖寺は秀吉が母のために建てたとか)を合併して金剛峰寺と名前を改めたそう。まわっても良かったんですが、先にメインであろう伽藍を見に行くか、と壇上伽藍へ。

 途中でその件の地蔵まつりをやっていた常喜院というお寺の前でおもちをいただき(あんこ入っててうまかった)おやつがてらに食べ歩きしながら壇上伽藍へ。この時点でめちゃめちゃ高野山の好感度がUPしております。(単純である)

 壇上伽藍は実際に空海がいろいろやってたところだそうです。落雷で焼けたりして当時の建物はもちろん残ってませんが、後世に再建されたものがたくさん建っておりました。今も信仰の中心地はここなんですね。順番に東塔、三昧堂、大会堂、愛染堂と再建された建物を見ていきます。それぞれ時代がまちまちだから建築の様式なんかにも少しずつ変化があって面白かったですねー。このあたりは新しいのか由来とかはそんなに詳しく書いてなかったのですが、ひときわ目をひく朱色と白と緑のコントラストが素敵な根本大塔へ!

 弘法大師空海)が最初に真言宗の根本道場として建てたのが根本大塔らしいのですがあまりに壮大すぎて生きてる間には完成しなかったみたいですね。まあ確かに今よりもずっと山深かったであろう高野山に高さ50メートル弱の塔建てようってんですからそりゃ苦労もしますよね……。しかも建てた後5回も落雷で焼けてるんだとか! なので一番新しく再建された根本大塔は防火を重視して鉄筋コンクリート造りです。でも今も宗教の中心地として信仰されているという証拠な気がしました。5回焼けたってめげないんだもの! 作りこそ鉄筋ですが、設計デザインは元のまま。通常の五重塔とは違い、円柱形をイメージしたデザイン(欄干も円形についてます)はかなり斬新ですねぇ! 外観のきれいさもあってすんごい近現代的な感じがします。

 中ももちろん新しいのですが、その分彩色豊かな仏様たちがお出迎え。密教曼荼羅=盛りだくさんってことで、中心に密教世界のボス大日如来をおいて周囲に仏様や柱にも壁にも目いっぱい仏様がいらっしゃいます。密教について調べてみようとwiki先生に教えを乞うたらすごいことになってきたので密教についてはまたいずれ(苦笑)いや密教ってその名の通り秘密主義なので(今の解釈とは多少違うかもしれませんが古来インドではどうやらそうだった)いろいろと宗派とか流派とか主義主張とかあって大変みたいで! やっぱり密教ディープだなぁ。勉強しなければ。

 でもインド派生ということだけあって、仏様もほぼインド仕様なのでなんか懐かしかったです(笑) インドとカンボジアでめいっぱいヒンドゥー教原始仏教に触れてきましたからね! でも本当に伝わってきた時代や流行りによって全然違うんだなと納得します。奈良にあるお寺はやっぱり飛鳥時代奈良時代に隆盛した仏教ですもの。京都に行くと禅宗ばっかりだし、鎌倉は鎌倉でまた違うし。現代のお寺は浄土信仰メインですからね。いやー面白い!

 金堂は7度の焼失にもめげず再建されたこちらも鉄筋コンクリート造り。ただ柱などは塗られてはいないので見た目は完全木造に見えます。本尊は高村光雲作の薬師如来なんだそうですが、安置してあるところまで距離があったので少し見えにくかったですね。それよりも気になったのは「血曼荼羅」。これは平清盛はんが自らの額を割って絵具に血を混ぜて描かせたといういわくつきの作品であります。大河ドラマ義経だと長男の重盛お兄ちゃんが亡くなったときに決意表明的な感じで使われておりましたが、どうやら伝わっている話だと清盛はんが根本大塔を再建したときに(ていうか再建してたんですね! さすが!)弘法大師のお姿を見た記念とかなんとか。いやしかし、それが脈々と現代まで受け継がれているっていうんだからすごい話です。

 続きましては御影堂。こちらは弘法大師肖像画をまつってあるというのでそう呼ばれるらしいのですが、それよりもそのお堂の前にある「三鈷の松」がすごかった。なんでも弘法大師が中国から帰ってくるときに師匠からもらった法具「三鈷杵(さんこしょう)」を港から「俺が受け継いだ密教を広めるにふさわしい場所へ飛んでけ!」とブン投げたらなんと高野山の松に引っかかってました、というお話です。なんてファンタジー!! いやー面白いですねぇ。そのせいで普通松葉は2本ですが、この松は3本なんだそうです。調べてみると松葉が3本になる松はいくつか種類があるみたいなのですが、何にせよ縁起がいいんでしょうね。他にも荒れ果てた高野山を復興しようとしたお坊さんが、あえて逆向きに藤を植えて復興できるかしらと占ったら見事にそだって花が咲いたよ!なファンタジー藤もありました。(逆指の藤と呼びます)

 その他のお堂もいわれがいろいろみたいなんですが、彫刻が可愛かったり欄干のモチーフが素敵だったりするのでがっつり見て楽しめました。中には入れないので外から眺めるだけですが、建築の違いに注目するのもなかなかいいですよね。

 一番奥にあるのは御社(みやしろ)という地主神である丹生明神・高野明神・十二王子・百二十伴神の皆さんがまつられております。大日如来こそこの世界のすべてを掌握する的なこと言っときながら(語弊があるかもしれませんが)きっちり地主神を奉ってあるあたりがとっても日本ですよねぇ。弘法大師は山王院という拝殿も立てております。

 まあいろいろ調べてみて裏を返せばそこらへんを掌握していたまさしく地主である丹生氏という有力者がいてスポンサーになってくれていたとかなんとか……なんてのがあるみたいなんですが、逆にそこは美談にしておきたいですよね。昔からそこにいらっしゃった神様と一緒に仲良く高野山を盛り立てていこうね!って感じが日本的で素敵だなと思うのです。今も実際天野にある丹生明神をまつっている丹生都比売神社(にゅうつひめじんじゃ)ともつながりはあるみたいですしね。

 そのお隣にあるのは六角経蔵。その名の通りお経を収める蔵がなぜか六角錐の形で建てられているんですが、この設計がまた超ハイセンス! どう考えたってこれエンジン噴かして飛んでいくだろ宇宙に!!というような形状をしております。なんか突起がついてるんですもん。秘密基地みたいなんですもん。わくわくしながらYちゃんと「これ絶対飛ぶよね」「二段に分離するな」「むしろロボとして動き出すんじゃ」「回転するだろ!」と散々勝手なことを言いまくってましたが、なんと調べてみたら六角経蔵、マジで回転するらしいです。

 今再建されてるやつは把手(とって)だけが回るらしいのですが、明治17年に再建されてた経蔵は堂全体が回ってたらしいのです! みんなでえんやこらーって押してる写真が超シュール……!! ていうか何なのその発想……!(大爆笑) いや、もう本当高野山てテーマパークだと思いますよ。ファンタジーと遊び心にあふれてますもの!! たぶん回した分だけお経唱えたことになるとかそういう発想だとは思いますが(石ごろごろ回すやつとかありますしね)、経蔵まるごと回すという発想にいたるとは思いませんでした。いやすごい。

 ちなみにそんな六角経蔵の近くには「登天松(とうてんのまつ)と杓子芝(しゃくしのしば)」が生えております。登天松はその名の通り、とあるお坊さんが突然悟りを得て、その松の木のてっぺんから天へ登って行ったそうです。その途中でうっかり片方の靴を落としてしまい、引っかかった松が「くつかけの松」と呼ばれているとかなんとか。まったくとんだシンデレラですね しかしお坊さんが突然天に登っていくのを目撃したお弟子さんはびっくりです。食事の支度をしている最中だったのでとるものもとりあえず、ごはんをよそうための杓子(しゃくし)を持ったままあわてて追っかけて一緒に天に登っていったそうです。あとから杓子だけが落ちてきて、芝生の上に落ちたため、そこの芝と「杓子の芝」と呼ぶようになったそうな。わーもうー超メルヘン!!(大爆笑)

 いやもうどこぞの夢と魔法の国に負けないぐらいエピソードにあふれていて大変楽しいです高野山。こんなに楽しいとは思ってなかった高野山!(間違った方向性の楽しみ方)

 不動堂は唯一伽藍の中では国宝の建物なんですが、寝殿造りの住みやすそうな建物でした。なんでも四隅の形がすべて違っていて、4人の工匠がそれぞれ造ったんだそうですよ。これまた粋なデザインセンスですよねぇ(笑)ちなみに中には不動明王+国宝の八大童子があったそうなのですが、今は霊宝館に納められているのだそうです。

 伽藍だけでかなりお腹いっぱいになったのですが(はしゃぎすぎである)そのままてくてく歩いて大門まで! 実は車で来る途中の道にあったのに、ゲームの話に熱中しすぎてて気づいてなかったというね(苦笑) でも思ったより大きい門でした。こちらも江戸時代の再建のようですが、仁王さんも素敵です。中心部に向けての入り口の門で、おそらくきっとこっから先は女人禁制だったんでしょうね。

 ちょうどいい具合にバスが来ていたので、少しだけ乗って宝物館である霊宝館に向かいます。高野山に保管されてきた貴重な仏像や仏具がいろいろ展示してあるわけですが、やはり特徴的なのは大日如来愛染明王不動明王ですよね。みんな表情豊かでかつ躍動感があって見ていて楽しいです。度重なる焼失で残っているものは主に鎌倉期以降なのか、その分新しい(普段見てる仏像が平安時代とかなのでね!)感じでした。

 中でもテンションがあがったのは快慶作と言われている四天王。ただでさえ四天王が大好きなのに快慶作と言われればもう! ただ四体ともすべて快慶作というわけではなく、そのうちの何体かは弟子の作と言われているのですが、それでもさすがの逸品ぞろいです。中でも広目天の渋さといったら……! なんかこう、三国志に出てきそうな渋い老将軍って感じなんですよ。若いイケメンもいいですが、渋いのもいいですよね。

 あとは国宝の八大童子ですよね。こちらは運慶作なんですが、八人のうちの一人しかお出ましになっておられなかったのか残念でなりません。一人でも半端のないイケメン度合いだったので! やっぱり運慶快慶ってすごいんだなとしみじみ思いました。造形美が本当に違うんですもの。

 本当はさらに深沙大将立像とかも見たかったのですが、時期が悪かったのかこちらも展示されておらず。見たかったら定期的に通えということですか!!と歯ぎしりです。

 もちろん仏像だけじゃなく他の資料も目いっぱいあるのですが、結構神様の絵がいろいろあったのが面白かったです。本当は女性の神様なのに高野山は女人禁制だから男性の姿で描いてる神様の姿とか(もういろんなものが矛盾しすぎて一周回ってる感じ)、みんなの夢を詰め込みすぎていろんな神様仏様その他もろもろ習合しすぎてRPGドラクエではなくFF)のラスボスみたいになってる神様とかいました。日本人ってすごいな!

 じっくり時間をかけてみたのですっかりお昼の時間は過ぎており、あわてて車へ。朝から買い込んだお弁当を車内で広げていただきます。食べ終わってさあ次見るぞ、と歩き出したのですが日がかげって肌寒いぐらいだったので朝からおもちをいただいた常喜院へ。するとこんどは地蔵まつりの一環で普通におうどんをふるまっていただきました。普通にひとり一玉たいらげる我々。いやーあったかいおダシが沁みます。本当にもう高野山ってなんていたれりつくせりなんでしょう!(ほくほく)

 お腹が膨れたので腹ごなしに歩いて徳川家の霊台に向かいます。東照宮と同じく三代目の家光が権現さまと秀忠のために建てたというもので、こちらも重要文化財。結構こじんまりとはしておりますが、建築に20年の歳月をかけたというだけあって装飾は一級品。まさにプチ東照宮といった感じであります。とにかく細部までこだわりぬきました!という家光さんのおじいちゃんに対するいろんな思いが現れていてわかりやすいですよね。実は家光さんも興味深い方なのでいろいろ調べてみたいんですよね。いろいろやりすぎててなかなかドラマとかでは扱いにくい方なので(笑)

 霊台のあとはいよいよ奥の院でございます。高野山奥の院といえば弘法大師様のお墓を中心にありとあらゆる方々のお墓が騒然と立ち並ぶという場所。ということでまずは大ボスにご挨拶をせねばと一番奥にある弘法大師御廟に向かいます。右も左もひたすらお墓が広がるという異様な光景ですし、参道もかなり山深く杉の大木が立ち並ぶ様子は荘厳でした。なんだかこう、怖いというよりはここならゆっくり落ち着いてみんな休めそうですね、という感じです。本当に鎮魂というイメージだな、と思いながらてくてく歩いて御廟橋を渡ります。いよいよ聖地、というところでは本当に言葉もなく静かにお参りをさせていただきました。本当に高野山というひとつの世界の中でどっしりとそこに鎮座されてるんだな、という感覚がありました。いやーすごく良かったです。あの雰囲気。

 ご挨拶も済ませたあとはもう気にすることはありません。ということでひたすら有名人お墓スタンプラリーの開始です。道すがら地図に載ってる有名戦国武将のお墓をしらみつぶしに見つけては騒ぐということを繰り返しておりました。だって感慨深いじゃないですか殿(信長)のお墓のそばに秀吉のお墓があったり、石田のみっちゃん(光成)の近くに明智のミッチー(光秀)のお墓があったりするんですよ! いやー器の広さを感じます。分け隔てなく受け入れて、まあいろいろあったけどここでみんな一緒に仲良く眠ろうじゃないの!って感じがしていいですね。

 お墓もいろいろありますが、耳をあてると極楽の声が聞こえるという供養塔や(耳つけてみたけど何も聞こえたなかった)、覗き込んで自分の姿が映らなかったら3年以内に死ぬという姿見の井戸とか(覗き込んだらばっちり顔が映ったんであと3年の保障はあるみたいです)、ちょっとしたアトラクション(?)もあって飽きないですねl。

 戦国武将だけじゃなくて平敦盛だとか大岡越前、その他有名企業のお墓や慰霊碑がずらりと並んでますので本当にすごいです。これ鬼太郎じゃないけど夜に墓場で運動会やったら予選からすごい人数よね、とかどうでもいいこと考えてました。(いっそ見てみたい)

 てくてく歩きまわって墓参りを堪能したら、バスを逃してしまったのでさらにてくてく歩いて車に戻ります。かなり高野山中歩き回ったんじゃないかと思いますよ! 丸一日みっちりと高野山を楽しんで本当に楽しかったです。いやー良かった。本当に楽しかった!

 くねくね山道を抜け、バイパスでさらっと帰還し、晩飯どうする?ということで何も考えずに幹線沿いのくら寿司に行ったら89分まち(51組待ち)という表示に愕然として逃げ出しました。しかし寿司はあきらめきれず、スシローに行ったら今度はスムーズに入れたので一安心。さすがくら寿司、日曜の夜はがっつりファミリーが集結するんですね。

 お昼にお弁当+うどんを食べたくせに(ついでにもちもつまんだくせに)もりもり12皿を平らげ、満足して帰宅したのでした。いやー本当に盛りだくさん!

 今日はここまで。