衝撃の新事実。

 ご子孫の方は品川でお弁当屋さんやっておられるってさ!(そこじゃない)


 さて二日目は7時には起床してすばやく準備し、さらりと出発です。今日はレンタカーを生かしてがっつりドライブしつつ鹿児島の南へ行ってみるぞ! って感じだったんですが、しょっぱなからあいにくの雨(苦笑) 市内は結構な雨が降ってたんですが、それでも南へ下っていくと弱まってきて一安心。



 しかし鹿児島の街路樹は本当にヤシの木なんですね(笑)おかげで一瞬「……グアム?」な気分になってしまいましたけど。むしろうちの大学思い出しましたけど。(一発でどこかばれる気がする)



 まず目指すのは薩摩今和泉。実際篤姫が生まれたところですよね。なんでもお宅があったところは今は小学校になってるらしいんですが、どうやらその土地の皆様が篤姫にのっかってあれこれやっているらしい、と聞きつけたので行ってまいりました。



 とりあえずその小学校を目的地にセットして向かったところ、やっぱり細い道を攻めることに。うーん、こっちであってんのかな?と思っているところで「駐車場はこちら」の看板が。お! と思って曲がってみたら、これまった細い道で、ヴィッツで入っていったらもうギリギリにも程があるわ!というほどの細い道。この道で本当にあってんのか!?と思いつつ「駐車場」の看板が出てるので奥へ奥へと入り込んでいくわけですが……(実際サイドミラー閉じなきゃ通れないレベルの道でしたよ)



 いざ回り込もうとした曲がった瞬間、そこに見えたのは階段。なんじゃこりゃ!? と驚愕していると、そこへボランティアガイドの腕章をつけたおじいさまがいらっしゃいまして。



 「駐車場へ行きたいの? ここからは無理だから一旦バックしてあっちからまわってきて」



 きょとーん、ですよ。え、だって駐車場って書いてあったじゃん!!!と思ったら、結局それは歩行者用の案内というオチでしたとさ(脱力)。



 いや確かにどう考えてもおかしいんですけども! だって、だって駐車場って書いてあったから……!!(バックしながら)



 結局まわりこんでいったら大型バスも大量にとめられる巨大な駐車場がありましたとさ! しらねえよそんな回り込む道新しすぎてカーナビには載ってなかったんだよ!! ちくしょう!



 とまあそんな冒険をしつつ、(でもYちゃんに言わせるとその道幅に突っ込んでいこうと思うこと自体がまずおかしいそうですよ。だって実家の家の前の道ってそれぐらいの幅しかないよ?)(何気に実家の車庫入れが一番難関だと思う)無事に薩摩今和泉に到着いたしました。



 そもそも駐車場も明らかに今回の篤姫を受けて作った感じの新しい駐車場なわけですよ。そしてそこへタイミングよくはいってくる大型観光バス。あーこうやってツアー組んできたんだなー村おこしってこういうことかー!としみじみしつつ、ボランティアガイドさんたちの熱意に敬意を表しつつ、まずは薩摩今和泉駅に向かいます。



 ちなみにこの薩摩今和泉駅、普段は無人駅なんだそうです。っていうか単線で、それこそ地元を彷彿とさせる感じの小さな駅なわけですよ。ところが今はまさにフィーバー中ですからどどんとでっかい顔はめパネルなどがおいてありましてですね。篤姫のふるさとへようこそ!的な。うーん、さすがすごいな大河ドラマ!とこちらでもまたしみじみ思ってしまったのでした。



 大河で観光地を巡るのは義経以来なんですが、義経はぶっちゃけもともと超有名人の超人気者じゃないですか。それこそ江戸時代から人気あるわけですし。なんで、名所はどこでも観光地になってて当たり前だったし、それこそ全然関係ないんじゃないのかそれ、なんてところまでも勝手にフィーバーしてたりするわけですよ。



 で、鹿児島市内でもそれこそ西郷さんとか超有名人ですから、今更何かしてあるという感じではなくて。正直昨日は篤姫ありきで来てましたけど、それほど篤姫をプッシュしてるなーなんて感じはしなかったわけです。



 いやーでも本当に熱意はすばらしいと思いますよ。実際私たちも大河ドラマ見てなかったらここまで来てなかったわけですし。まあYちゃんの卒論テーマがまんまそのあたりなので、ふたりであれこれ地域観光などについて語り合いながらあたりの散策をしておりました。(でも本当に興味深いテーマだと思いますよ)



 まず向かったのは今和泉島津家の墓地。お父さんとかお兄さんのお墓ですね。もちろん篤姫のお墓は東京なんですが、ここもきっちり整備してありましたよー。ただ歩いていったんですが、雨あがりのせいもあってものすごい湿度! 本当に暑くて汗だっらだらかきながらお墓参りをしておりました。



 もらったパンフレットにはそれ以外にもいろいろ書いてあって、ぶっちゃけパック売りというか、別にそれ篤姫関係ないよね?っていう史跡なんかも載ってたんですがまあそれをちらちらと見つつ、最終的にその小学校の方へと向かいました。でも昔の武家屋敷とかの石垣をそのまま利用してあったりして、本当に歴史の積み重ねを見たというか、その土台が見れて面白かったです。



 ちなみに小学校の中に入れば井戸とか見れたらしいんですけど、まあいいかと隣に新しく立ててあった東屋で休憩しました。手水鉢とかも全部新しく作ってありましたよ。なんか本当に情熱とやる気ですよね!



 薩摩今和泉はそれぐらいにして、続いて指宿の方へ。もともとは砂蒸し風呂が有名なところですが、新しく大河とタッグをくんでいぶすき篤姫館を作ってあるんですよ!(ちなみに鹿児島市内にも篤姫館はあります)



 この篤姫館、新しく作ったというよりは普通にもとからある街のコミュニティー複合施設(体育館とか温泉とか宿泊施設とかが全部いっしょくたになってました)のホールに作ってあるんですよね。だから博物館の特別展みたいなもんですよね。(それよりももうちょい規模がでかい気がしますが)



 このあたりのやり方がうまいよね!という話をYちゃんとしつつ(Yちゃんのテーマはそのあたりにもからむ)、中も良かったですよ! こっちはそのまんまNHKの篤姫館なのでね。撮影秘話的なのも交えつつ、観光客もたくさんはいってて盛況でした!



 とりあえず指宿にきた目的は果たした、ということで道の駅でちょっと休憩し(篤姫バーガーが売ってましたよー。ただそれほどおなかがすいてたわけではないので豚串食ってましたけど)(また豚ですとことん食べるよ!)続いての目的地に向かいました。



 続いては知覧。ここは特攻隊の基地があったことで有名な場所ですよね。スペシャルドラマをやるというのでも話題になってたし、記念館もあるというのは知ってたんですけど、実はもうひとつ観光地がありまして。武家屋敷群をそのまま保存してある場所があるんですよ。伝統的な薩摩の武家屋敷みたいなのを集落そのまま保存してあるんです。



 時間的に両方行く暇なんてないので、まあやっぱここは武家屋敷だよな、ってことであっさり武家屋敷へゴー。でも機会があればまた特攻隊記念館の方にも行きたいですね。



 武家屋敷群はなかなか面白かったです! 本当に集落がまるごと残してあって、それぞれお屋敷とお庭があって。きちんと整備してあってお客さんもけっこう入ってましたねー。ただ本当に尋常じゃないぐらい暑かったんですけど(真顔)汗がまさに滝のように流れてましたよ。ひたすらハンカチで汗をぬぐいながらサウナみたいなことになってました。



 お庭ですが、やっぱり京都なんかで見る庭園とは全然違いましたね。それよりもずっと大陸っぽいといいますか。国風の枯山水じゃ絶対やらない感じの組み合わせと配置で、やっぱりここは南国鹿児島で、琉球文化なんかもいっぱいはいってきてるんだろうなぁと思いました。



 でもなかなか楽しかったですよ! それぞれのお宅が生垣でぐるっとかこってあるので、通りから見える景色がすごくきれいでしたしねー。



 道路沿いの用水路には錦鯉が放流されてたりして(萩っぽかったです!)なかなかそこでも楽しめました。しかし鯉って本当に尋常じゃないサイズにまで成長しますよね(苦笑)



 さて武家屋敷を堪能したあとは今度は吉利という場所へ。これは日置市にあるんですが、かつて小松家が納めていた場所なのです。帯刀くん関連のやつがいろいろあるらしいよ!ということで向かったのが正直まったく期待はしてませんでした。ところが、この予想が大きく裏切られることに。



 スカイラインを通って日置市に向かったんですが、雨が降ったりやんだりの微妙な天気。あんまりドライブ日和じゃないなぁと思いつつ、まずは小松家の菩提寺清浄寺というお寺へ。近くに小学校があって、それがなんと小松家のお仮屋のあとなんだそうな。



 まああんまり期待はしてないけどねーなんてのへのへしながら向かっていったらな、なんと小松帯刀くんをアピールするのぼりが各地に立ってるではありませんか! 何これ、超帯刀くんプッシュしてるやん!!とテンションがあがった状態で寺に向かうと、なんとお寺には真新しい帯刀くんの像が!!(衝撃)

 

 なんでも鹿児島市に置いてあった像を再利用してもう一個つくったんですって。そして篤姫を受けて新しく設置したんですって!! みなぎるやる気に素晴らしい!と記念撮影をしたのでした。いやーよかったね帯刀くん!(何様)



 いやあよかったよかったといいつつ、続いては小松家の墓地に。まあ鹿児島市での苦い思い出があるので正直こっちもあるんだかないんだかすらわかんないよね、という感じで向かったんですが。(だって屋島ではつぐのぶ兄ちゃんの墓探しにどんだけ苦労したことか!)



 まず道からですよ。でっかい標識がついてましたよ。「小松家墓地はこちら」みたいな超巨大な看板がかかってましたよ!! なんてやる気だ!とどきどきしながら向かったら、今度はちゃんと駐車場が出来上がってましたよ!!(目をむく)



 そんなに広さはないんですが、真新しい看板に解説がのってたりして、しかもなんと車を止めて降りるとガイドさんが近づいてくるではありませんか! 小さな東屋にガイドさんが常駐していて、まず資料を何枚かもらい、そのまま案内していただきました。



 ええ、本当に、すごかったです。(もはやなすがまま)



 やっぱり篤姫の話がくるまではここのお墓もぼろぼろだったし、全然観光地としての整備はされてなかったそうなんです。ところが大河ドラマで帯刀くんもフューチャーされるよと聞いてから、急ピッチで地元の皆様と一緒に整備を進められたんだそうな。



 すでに墓地があった園林寺は明治の廃仏毀釈で廃寺になってて、そのときに仁王像の首がとられてそのままにしてあったり(それもまた歴史で大変参考になりましたが)それこそ山も崩れそうなぐらいになっていたわけですよ。



 しかも実際に篤姫が始まってすぐから観光客が訪れ始め、実際今では全国各地からお客さんが来られるそうですよ。(まあかくいう私たちも訪れちゃってるわけですけどね!)なるほどなるほど、と裏事情を聞きつつお墓参りへ。



 小松家代々のお墓なんですが、なんとこの「小松」という苗字が平重盛からきているときいてまた度肝を抜かれましたよ!! もともと小松家の先祖は重盛兄ちゃんのお孫さんあたりからの系図で、その時は苗字を禰寝としてたんですよね。で、最初は大隅半島のほうにいたらしいんですが、そこから吉利へうつってきたと。その際に苗字を変えて、せっかくだからお兄ちゃんゆかりの(重盛兄やんは『小松殿』と呼ばれていた)小松にしようぜ!ってことになったらしいです。



 もちろん既に平家については義経時代に勉強済みですからね。思わずへぇー!!と思ってしまったのでした。しかし島津のおおもとが源氏で、小松家のおおもとが平家っていうのがなかなか面白いですね。家系図って面白い!



 でまあ小松家初代からずーっとだれだれのお墓、ということを解説していただいてたわけですが、最終的に帯刀くんのお墓は一番前にありましたよ。しかも実は帯刀くん、京都で死んでいるので最初のお墓は大阪の四天王寺らへんにあったそうです。(思わず近所やん!とつっこんだことは言うまでもない)それをこっちにもってきたというわけですね。



 またそこで話が終わらないのがすごいところで、その後の小松家のご子孫についてもいろいろ伺いました。薩摩の奥様との間には子供が生まれなかったので京都にいたときの側室のお子さんを、薩摩で引き取って育てたそうです。そして娘の家系はなんと酒造で、「幻の宰相 小松帯刀」っていう焼酎を造ってらっしゃいました!(びっくり!)



 息子さんの子孫のほうは今は東京の品川でお弁当やさんをやってらっしゃるんですってー。いやもうそこまで聞くと本当に何がなんだかですよね(笑)



 けど本当にここまで詳しく知れると思ってなかったし、吉利の方々の熱意と情熱が素晴らしいなと思いました。実を言うと一番期待してなかったんですが、一番楽しめたと思います。本当にありがとうございました!



 時間もせまってきたのでそのまま鹿児島市内へと戻ります。相変わらず走りにくい市街地でなんとかガソリンを入れ、ぎゃーぎゃーいいながら無事レンタカーを返却。最後の晩飯はせっかくだから寿司食うか!ということで、さんざん苦しめられた路面電車にのって天文館周辺へ。



 ガイドブックにのっていた『喜鶴寿司』というところにいきましたよー。結構セットメニューがあったので気おくれせずにはいることができました。レンタカーを返却したのでここで飲まなきゃ!ということで飲まないYちゃんには申し訳なかったんですがひとりで焼酎を頼ませていただきました。ええ当然ながらストレートですが何か?(笑)



 でもストレートで頼んでしまったがゆえに若い板前さんと「お強いですね」「いえいえ」みたいな会話が弾んでしまったのは仕方がないと思います。というか結構そんなんでいっつも店員さんと会話してしまう気がする……(笑)



 もちろんお寿司はめちゃめちゃうまかったです! 普段そんなに良いお寿司を食べることがないのでもううきうきしながら食べてました。焼酎もうまかったですしねー。最終的にガリとワサビで飲んでました(苦笑)



 さて腹ごしらえもできたところで鹿児島中央駅に戻り、身支度などを整えてバスへ。まる二日間いただけですが、本当に楽しかったですね。でもまだまだ行ってないところがいっぱいあるし、それに九州でもまだまだ行ってない県がありますからね。いろいろと攻めていきたいです!



 今日はここまで。