りんごは木から落ちた。

 ちょっとうまいこと言えたと思うと嬉しくなる。


 昨日深夜まで話し込んでしまったので朝はゆっくりビデオをみたりDVDをみたり。あ、そういえば確か作業のために泊まりにきたはずが作業がしゃべりながらあっさり終わったためにこんな優雅に過ごしております。まあ2人でやればなんでも早いですからね。



 お昼にパスタをご馳走になってから、気がつけばモラトリアムの話へ。自分探しの旅やらアイデンティティなんて言葉が飛び交い始めてくるとだんだん比喩表現のオンパレードになっていきます。議論が白熱すればするほどお互いの感覚と思想を一致させようと言葉を駆使するために比喩が多様されていくわけですが、それがちょっと楽しかったりします。うまいこと言い表せた!ってなると嬉しいというか。



 ちなみに今回自分でもうまくいったな、と思うのが数学と理科の違い。あくまでイメージとして、という前書きはつきますが数学は公式でもって問題を解いていく学問で、理科は現象から公式を導きだそうとする学問だ、という話になりまして。万有引力の例をとれば、いまだになぜ万有引力そのものが存在するのかという原因については解明されていないわけですよ。万有引力というものが働いているからそれぞれの物体がこういう動きをする、ということが解明されているだけで。



 つまり世界の公式(=常識や一般論など)でもって自分解こうと一生懸命になる前に、自分という現象があって、それをどうしたら世界の公式と連立させて答えを導き出せるのかを考えるべきだ、ということを提唱していたわけです。



 そこがつまりアイデンティティだとか自分探しとかにかかわってくるわけですが、絶賛モラトリアム(正しい倫理の意味で)中のYちゃんとしては数学的な認識がすごく強かったわけです。世界の公式がある(=こういう生き方が正しい、正しくない、的な)のが先なので、それでもって自分を解こうと必死だったわけです。もちろんそれで簡単に解けてしまい何も悩むことなく人生を歩んでいく人や、解けて無くても別に気にならずわが道を突き進む人もどちらもいるわけですけど、Yちゃんの場合は解きたくて仕方がないのに解けない、じゃあそんな解けない自分は間違っている、解ける自分はどこだ、という方向性の考え方だったわけですね。



 じゃあ理科的に考えるとどうなるか。先に自分がある。自分の感情や性格や習慣がある。それを分析して新しい式を作って、それと世間の公式とどうすり合わせて解明していくか、ということが焦点になるわけです。その場合、まず自分自身という現象があるところからスタートですから自分の存在そのものを肯定することになりますよね。まあ確かに難しいことではあるんでしょうけど(自分でもできてるとは思ってないけどこれはまあ机上の空論なので)すでに自分という人間が存在しているわけですからその方が正解には近づけると思うのです。



 りんごは木から落ちたわけです。つまりりんごと地球の間にひきあう力があるわけです。それはもしかしたらりんごと地球以外にも働いているかもしれない。計算していったらなんとそれは惑星レベルでも働いている。つまり、この世の中のすべてのものには引き合う力が働いているんだ!!ってこれ正解じゃないですか。演繹法ではなく帰納法が世の中にはフィットするわけです。



 だからまずは自分は自分としておいといて、その自分がどうやって世間と折り合いをつけていくかという公式を考えていけばいいんじゃないのか、という提言をしておきました。いやー超楽しかった(笑)りんごは木から落ちたんだよ!と叫んだ私の顔はたぶんだいぶ気持ち悪かったと思います。言うたった!!みたいなドヤ顔(笑)



 それでYちゃんは今まで自分探しの旅に出ていたと思ってたけど実は港からまだ出てなかったんだ、これから外海に向けて出港するよ!!と言ってましたけど(どっちももちろん比喩表現)がんばっていただきたいものです。



 いい加減時間切れになったので実家に帰って晩御飯を食べていたわけですが、食べ終わってから姉の件について大論争が巻き起こりまして。私は要所要所で口を挟み、最終的に自分の意見をゴリ押しし、姉も押し切られる形でうなずいてしまったわけですが。とりあえずは私も家族も一安心かな、と言ったところです。今後姉がどういう行動をとるのかですね。私も身の振り方と今後の人生を考えなくてはなぁ。



 今日はここまで。