盛りだくさんな一日。

きもの→坦々麺→デパ地下→ゲーム→トンカツ→源氏物語と地図帳。


 朝10時に天王寺待ち合わせでYちゃんと合流。そこからまず、着付け教室の先生に紹介してもらった呉服屋さんに向かいます。大阪天満宮の近くにあるお店なのですが、在庫一掃セールで安くなってるよ、というのと、別に冷やかしだけでもいいよ、と言われたので後学のために行くことにしたのです。ええ、在庫一掃で安くなるとはいえ、元が高いですからね。

 ついでに行ったことのなかった大阪天満宮にも行ってみたのですが、本当に町の神社というか、てんじんさん、という言い方がぴったりくるなぁ、というアットホームなところでした。実は大阪に住んで随分経ちますが一度も天神祭りに行ったことがないんですよね! 人が多すぎて挫折するんです毎回……。(同じ理由で京都も避けがち)

 天神橋筋商店街も有名なのは知ってますが実際歩いたこともあんまりないのです。それこそこの前見た住吉さんもそうですし、天神さんもそうですけど、大阪の歴史って掘り下げていくといろいろ面白いと思うんですよね。江戸時代とか、ざっくり天下の台所で町民文化が発展していた、というだけで終わってますもん。上方文化とか上方歴史勉強したいなぁ。大体天満宮の登竜門だって大塩平八郎の乱で焼失したらしいですしね。なんて身近な! 教科書歴史はひととおり勉強したものの、どこで起きた出来事かっていうのは忘れがちなのです。そうだよあの人は大阪の人だよ……!

 ようやく目的地の呉服屋さんへ。一応着付け教室でI先生にお世話になっていますとご挨拶して上がらせていただき、他のお客さんが多いのをいいことに、好き勝手に帯から反物やらなにやらを拝見させていただきました。値段のケタが違いますよね! 半額っていっても凄い値段ですもん。はわー。

 とにかくそれぐらい物がいいわけで、かなり楽しかったです。見事な刺繍やら染やら織はそれだけで当たり前ですけど芸術作品ですからね! 訪問着とかの柄とかのセンスも、古典的なものからモダン(あえての)なものまで様々でした。色使いとかね。本当に面白い!

 ますます実家の着物を引っ張り出したくなりました。母の色無地は鮮やかな朱色なんですが、あれは袴はくことを想定してるから映えるのであって、全身朱色はちょっときついな、と思っていたところなのです。染め替えればいいじゃん!とか言われておおお、となりました。どうせならいろいろ着れるようにしちゃえばいいですよね。それこそ30代になったら振袖も袖切って訪問着にしちゃえばいいわけですし!(なんだったら着物にあまり興味のない姉の振袖を切って私にry)

 着物は解けはいくらでも布に戻るのよーって言われて大いに納得したり、裏地替えたり仕立てかえたり、いろいろ応用が利くわけですよ。手軽に着る、となると一人で着れなかった私は思い切れませんでしたが、これで晴れて着れるようになったわけだし! 最後にコーヒーいただきながらいろいろ考えておりました。せっかくうちにいっぱいあるんだから!

 ほくほくした気持ちで天王寺に戻り、いつもの坦々麺屋でランチセット食べながらおしゃべり。女子とはいかなるものか、ということについて語り合っておりました。

 あくまで個人的な考察ではあるんですけど、そもそも集団で何かを話すときって私は『話題』があって、その『話題』について『個人』がそれぞれの見解を述べる、というのが会話だと思っています。会話とは基本的にキャッチボールである、と思っているので、その話題に関する意見をお互い交換する、というような。それが仕事の話題であればきっとそれが会議となり、会議の場合は最終的に結論を出さなくてはいけないわけですが、日常会話では結論こそ出さなくていいものの、個人の見解を述べるという点では同じだと思っています。

 その場合、会話には絶対に『個人』が存在します。自分はどう思っているか、ということが主張されるわけですからね。そして他人がどう思っているか、という主張もあるので、そこではじめて他人が何を考えているのかが判明する、とそう思っていました。そういう意味で、私は友人達と『個人的な付き合い』を形成しているので、どちからというと遊ぶときは2人で遊ぶ(ご飯、旅行など)のが基本だと思っていました。まあ私の友人達は(私も含めてですが)そういう意味で『個人』がしっかりしている人間ばかりなので、3人以上が寄ってしまうと仕事以外の趣味の部分においては『話題』が一致しないことが多いから、という点が大きいんですけどね。(逆に『話題』さえ一致すれば何人でも会話することができる)

 たとえば趣味的な『話題』が一致しない人と話すときは、一般的な話題(天気、個人に起こった出来事など)をベースに話をするわけですが、その場合においても基本は『個人』が存在すると思います。私が旅行に行ってきた話なんかをするときは、旅行先のエピソードや出来事を個人の主観で話をし、その話に対する感想や意見などを返してもらうというキャッチボールなのです。

 もちろん初対面や知り合い程度だとそのキャッチボールも難しくなり、キャッチしやすいゆるい球を投げないとうまくキャッチボールができなくなりますし、向こうも何を投げてくるかを気にしながら、ゆっくりと肩ならしをしていくことが必要になると思います。そこで相手の投げる球のクセや、方向、強さなんかを計っていくというか。それがお互い成り立ってくると『会話』が成立し、キャッチボールが楽しくなってくると思うのです。そのために私は日々守備範囲を広げたいと思っているし、相手のどんな球でも受け止めたいと思っているし、ゆるい球や捕りやすい球を投げるように心がけよう、と思っています。

 が、しかし先だっての女子会に参加してみて思ったのが、どうやら集団(女子に限るのは早計と思われるのであえて定義はしませんが)で会話をする際に、キャッチボールではない会話が存在するようなのです。これもあくまで私が得た感想なので全てが全てそうだとは思いませんし、全員が全員初対面に近い相手だった、というのもありますが、私はつまり、その日、「ひたすらボールを投げても受け取ってもらえなかった」「誰からもボールがとんでこなかった」という気がしたのです。

 だから楽しかったし、盛り上がったし、仲良くなった『気がする』という表現をしたのです。実感がまったく沸かず、それぞれがいったい何を考えているかがかけらもわからなかった、といいますか。

 もちろん初対面だから気を使うし、個人の意見を殺すのは分かります。が、それを差し引いてもまったく個人が見えず、正直私の中で彼女達の識別が曖昧です。顔とそれぞれの出身地(自己紹介の際に判明)ぐらいはおぼろげに覚えていますが、名前は本当に自信がありません。なぜって、その飲み会の間一度もお互いを名前で呼び合うことがなかったからです。最初の自己紹介で「自分が何と呼ばれているか」を確認しあったにもかかわらず!

 きっと仕事をすれば、私は仕事で識別ができると思うのです。所属とか肩書きがあれば個人を知らなくてもそれで覚えられますからね。ところが現状、プライベートであり共通点は内定者同士、というもののみ。彼女達がこれで全員の顔と名前を把握していたとしたら、それはもう私には才能がないのか、といっそ悩みたくなります。

 ではキャッチボールではなくどのように会話が成り立っていたかというと、この場合における共通の話題を『場の空気』と表現するならば、全員が全員『場の空気』と向き合っていたようです。どうやら。後で気づいたんですが、そのときにそこにある『空気』を全員が読み続け、きっとそこから離れた発言をすると『空気』が読めない、ということになるのだろう、と推察しました。そのとき私は全然わかっていなかったので、ボールを投げては手ごたえのなさに「?」となっていましたが、そりゃそうです。だって誰もボールを投げも受け取りもしていなかったんですから!

 たとえば一番話しやすい『就職したらどうなるのか』という話題について、もちろんみんながいろんなことを話していたわけですが、誰がどんな考えを持っていたのか、ということについてはまったく覚えていません。漠然と『働くことに対する不安』の共有と、『出会いがあるのかどうか』についての共有を図っていたように思います。私はとくに働くことに対する不安はあまりないので(既卒者だから/似た分野で現在仕事をしているから)その共有はできなかったしする必要がなかったのですが、そうなると『場の空気』から外れてしまい、疎外感を感じる、ということになるのです。

 特に私が既卒者としての意見を求められることもなく、漠然と「不安だよね」「そうだよね」で帰結していってしまい、誰がどう不安に思っていたのか、その不安を解消したいのかどうかも謎(おそらく共有することにより、ひとりで不安に思っているわけではない、ということを確認することによって解消を図っていた模様)という会話でした。

 正直2時間飲み屋にいたはずなのですが、結局それ以外の話題で何を話していたのかが思い出せず、愕然としています。確か元CAの方がいらっしゃったのでその方が提供してくださったCA裏事情的なお話(ただしその場合も基本的には感想の共有を目的として終わる)、海外旅行は今のうちに行っておいた方がいい(ただしヨーロッパ圏のみ/ベトナムとエジプトとインドの話題を出しても全スルー/モロッコだけ唯一かするか?ぐらい)、……他何かあったっけ、ぐらいです。

 これが一般的な女子会なのかは不明ですが、少なくともこういうひたすら『場の空気』だけを読み続ける集団での会話があるのだ、ということを知った会でした。そうか、そうだったのか……!

 もちろんこの集会が悪いとかそういうことを言いたいのではなく、これはこれでひとつの形であって、私が今まで出会わなかった(かつ出会うことを避け続けていた)集団なのだろう、という見解が深まったということを言いたいのです。それならば今後この会話に自分がいかに適応していけるかを考えればいいということですからね。ただ、この漠然とした場の空気の共有を楽しめるか、ということを考えるとまた別な気がしますが。みんな楽しいからきっと集っているのであって(違うのかな?)、楽しめる要素がきっとそこにはある、はずなんです、たぶん。それを見つけられたら一番素晴らしいと思います。

 今書いていて思ったんですが、きっと世の中にはボールを投げるのも受け取るのも苦手な人が多いのかもしれません。ボールの投げ方が分からない人が投げるのはきっと怖いだろうし、自分の目の前にボールが来ても受け取れなかったら相手に対しても失礼になってしまいますもんね。そういう人たちにとってはこういう会話の方がずっと気にしなくていいし、楽しいのか! そうか! だからみんな『自己主張が激しい人は苦手』になるわけだな……なるほど……! ちなみに私は自己主張が激しい人間は得意ですが(自分もそうだし)、自己中心的な人間は少し苦手です。(つまりキャッチボールで強いボールや変化球投げてくる人は得意だけど、私がボール投げても受け取ってくれない人は苦手です。だってキャッチボールが成り立たない!)もしかしたらそもそもボールを投げたくも受け取りたくもない人もいるかもしれませんしね。なるほどなぁ。キャッチボールが楽しくて会話をすると思っていたけど、そうじゃない人も多い、と。

 つまり『同じ考えを持っていることを確認しあう』ことが何より大切なのであり、場の空気を共有することがそのための手段というわけですね。だから噂話が多いのかもしれません。その人に対する(主に負の)感情について共有することにより、『みんなそう考えている』ことにより安心できる、と。ただしそれはあくまで一般論かつ漠然としており、個人の意見がそこに反映されたわけではない、ということですね。『私がそう考えている』ではなく『みんなそう考えているのだから、私もそう考えていてもよい』的な。だからみんなグループを作りたがるんだろうなぁ。

 うーん……そうなると私がそこの会話に何か楽しみを見い出せるかというと果てしなく難しい気がしてきましたね……。まあ、これは今後経験をつんで考察を深めていくことにより何かしら見い出せるようになるかもしれません。まだまだ経験値が不足していますからね! 仕組みが分かってきたので今後は怖がらずに参加できると思います。ただ参加したことにより何らかの制約を課せられる(私も同じ考えを持っているとみなされることによる発生する何か)場合は考えたほうがいいかもしれませんが。

 また補足しておくと、私が空気を読めない発言を許容するというわけではなく、私の定義による『空気の読めない発言』というのは「無作為か作為かにかかわらずその場の人間を否定する・傷つけるような発言」「他人に迷惑をかけるような大声・奇声など」「他人が不快に思う発言(その場の全員ではなく一部の人間が不快に思っている時点でその発言はすべきではない)」「場(例:結婚式・葬式など)にそぐわない発言」などであり、それについては私も断固拒否します、よ! 楽しく会話ができるのが一番ですから!

 ということを坦々麺食べながら延々話していたわけですが、Yちゃんとは付き合いも長く、また共通の話題も豊富にあり、お互いキャッチボールが大好きで、いかに早く正確に球を返せるかにお互い燃える、のでひたすらキャッチボールができてしまうというわけなのです。コレが私の思う楽しさだからなぁ。(結論)

 さて坦々麺を食べた後は、お茶の先生にお渡しするお歳暮を見るために近鉄の地下食品売り場へ。いつ行っても思いますけど、やっぱりデパ地下っていいなぁ……! これでもかとおいしそうなものが所狭しと並んでますもん。一応良さそうな和菓子を発見したのでそれを贈ることにし(お茶は再来週なのでそのときに私が買ってもっていきます)、二人して「これで好きなもん食べなさい、って万札もらえたらデパ地下お惣菜パーティーしたいな妄想」を繰り広げておりました。

 ようやく夕方に私の部屋に到着したので、そこからYちゃんが持参したWiiでひたすらバサラ3をやりまくっておりました。石田三成を相当鍛えたと思います。ふふ。

 晩飯は近所のとんかつ屋さんでからあげ&一口とんかつ定食をおいしくいただき、部屋に戻ってからはYちゃんが持ってきた塾の生徒に教えている数学の問題を解いたり(久しぶり!)そこから派生して地理の話になり、ふたりして地図帳を眺めてみたり、さらに流れて国語便覧を眺めて最終的に源氏物語のあらすじをすべてYちゃんに解説してもらい、その後さらにどう派生したのやら私が現在はまっている某5人組アイドルグループの人気の仕組みや、他のアイドルとの差異、現在とりまく環境などについて延々話しておりました。気がつけば時計の針が23時をまわっていたので、風呂に入って就寝。若干アゴが疲れるというぐらいまでしゃべり倒して眠ることの、なんと幸せなことか!

 今日はここまで。