他人事日記。

関西に住む私が思うこと。


 本日は京橋で飲み会の予定だったので、仕事を終えたあと肥後橋から京橋まで40分ぐらいかな〜と思いながらてくてく歩いておりました。京橋付近まできたあたりで、突如東京のお姉さまからメールが。なんでも、今東京では原発関連のデマが流布しており、マスクが買い占められてしまって入手できないのだとか。彼女は完全にパニックで、電話もかかってきたんですがすぐに買えるだけのマスクを買って送って欲しい、とのこと。とりあえずわかりました、と電話を切って、ダイエーの薬局で買えるだけのマスク(800枚ぐらい)をダンボールにつめて発送したわけですが。

 そのときは、どう考えてもデマだし放射能は福島から東京までは届かないし、届いたとしてもレントゲンよりも低い数値ぐらいしか出てこないだろうと、X線を研究しており美浜の原発を見学に行った私は思うわけですが。でもまあ彼女がそれで落ち着くならそれでいいかな、と思って送ったわけですよ。彼女の精神安定のためにね。

 でも今から思うとそれが物流を悪化させた一因になっているのだとしたら送るべきではなかったな、と後悔しています。そのときの彼女に何を言っても無駄だったし、送ってしまったものはどうしようもないですけど。次からは頼まれてもきちんと説明して断るしかないな、と思っています。

 今私は東京の状況を知らないし、停電にもなってないし、いたって安全に暮らしているから言えることかもしれませんが、それを自覚しているからこそ言いたいことが沢山あるなぁと思います。いつか自分が被災したときに覚えておきたいですからね。

 人はきっと誰かのせいにしたい生き物なんだと思います。どっかの誰かさんが「天罰」なんて言い方をしてましたが、彼がそういいたくなる気持ちもわかります。神様のせいとか、人間全員のせいとか、どうしようもないものに責任を転嫁してしまえば楽になりますからね。ただ自分の立場をまったく自覚しておらず、思った言葉をなんでも口にだしていい立場の人間ではないということを理解していなかったことが問題で、そんな人間をそんな立場に据えてしまった国民にも責任があって、彼がそんな言葉を言うよりももっとなすべきことがあるはずなのにそれをしていないことが問題なんだと思います。

 誰かのせいにしたいのもわかります。原因や責任を追及したいのもわかります。でもそんなことは後からやればいいんです。責任者を叱り飛ばしてそれで満足した気になってる人がいらっしゃいますが、正直そんなことはどうでもいいんです。今、命がけで戦っている人がいて、今命がけで救済活動を行っている人がいて、そんな中で自分に今できることがなんなのか、やるべきことはなんなのかを考えることが一番大事だと思います。叱りたかったらあとからいくらでも叱ればいいでしょうに。

 人を非難するということはそれだけ自分にも非難されうる理由があるということを、忘れがちなんですよね。天罰だって言った人はたぶん自分が罰を受けてるっていう自覚はないんでしょう。「自分以外の」人間達が奢ったから、「自分以外の」人間達に罰が下るんだと思ってるんでしょう。政府や東電に文句があるのなら、自分自身が今の政府を選んだということ、自分達が東電の原発のおかげで毎日電気を使えていたことを思い出さないといけないはずなんですけどね。その後、それを自覚した上で批判なり非難なり何なりとすればいいはずなんですが。そしてそれを改善していくために自分が何をできるのか、まで戻らないといけないんですが。(もちろん私も含め!)

 ただまあパニックになってしまったり、自覚を失ってしまってデマや流言に惑わされてしまっている人には難しいことかもしれませんし、大衆心理というものはそういうものだといってしまえばそれまでですが。ただそれが回りまわって自分達の首を絞めているということに、誰かが言って気づかせないといけないんですよね。まあ人間関係というものもあるので難しいんですけど……(私がお姉さまに苦言を呈することができるかというとね……)。

 もちろん本当に身の危険が迫ってきたときは、自分や自分に近しい人を優先します。それは当たり前のことだし、正しいことだと思います。誰かの面倒見るなら、まずは自分の安全を確保してからじゃないといけないと思ってます。そのためにまた別の誰かが犠牲になるのだとしたら、それはそのときの私がどういう判断を下すか、ということになると思いますが。

 サンデル教授が言ってましたが、少ない犠牲を払って多くを救えるならそうすべきだという意見、犠牲はどんな理由であれ許されない救うべきだという意見、いろんな意見があるけれど、それが正しいか間違っているかではなくて、それについて考えることが大切なんだそうです。

 たぶん今被災地では沢山の人が生死に直面していて、それを命がけで救おうとしている人たちがいます。避難所で暮らす人々に、食料や薬、水、毛布などの物資をどう分け合うか、考えていると思います。何を優先し、何を後回しするのか、たぶんギリギリのところで判断が行われているのだと思います。被災地にいる皆さんはみんな節度をもってモラルがあって、落ち着いて、助け合って頑張っていると聞きます。そして結局それが全員を救うことにつながるのです。きちんと今自分に何ができるかを考えて、自分のなすべきことをすることで、自分自身を救うことにつながるんですから。情けは人のためじゃないんですよ! 自分自身のためになるんですよ結局!

 デマや流言に惑わされないためには、きちんと自分自身で考えられるかどうかなんですよね。自分がどういうことをすべきなのか、自覚をしているかどうかなんですよね。そうして自分のために何をすべきなのか、をきちんと考えられるかどうかだと思います。たぶんきちんと考えられる人は自分で氾濫する情報の中からきちんと正しいものを選び取って、そして自分の将来のために行動ができるんだと思います。少なくとも今買占めをしていいことなんか一つもないことを、少し考えればわかるはずなんですけどね。今命がけで作業をしている人たちを応援こそすれ、批判や非難していいことなんかひとつもないことを、少し考えればわかるはずなんですけどね。問題をとりあえず決着させることの方が何よりも大切で、そのために自分が何をできるかを、考えればわかるはずなんですけどね。たぶん大半の人が「何も出来ない」が答えで、節電と経済活動の2つしか残らないはずなんですけどね。そしてそれが自分の将来のためである、ということを、考えれば、わかるはずなんですけどね!

 どんなときでも自分で考えられる人間でありたいです。自覚のある行動をとりたいです。私は私自身のために、誰かを助けられる人間でありたいと思います。ひとまず少しの義捐金は送りましたが、問題は1ヵ月後、2ヶ月後の私も義捐金をきちんと送金できているかだと思います。

 と、京橋で飲んだくれいた私が言っても何の説得力もありませんが。でも久しぶりにサークルの同期達と会えて、精神的に大いに満たされました。たぶん私が居酒屋で払ったお金は、回りまわって経済を支えていることだと思います。

 今日はここまで。