トンネルを抜けると。

冬に逆戻り。


 ワインを飲みすぎたせいで若干の二日酔いを感じつつ、なんとか6時に起床して準備を整えて実家に戻ります。本日はお茶、のちに温泉旅行なのです!

 実は祖母、両親、姉もそろって比叡山と琵琶湖に温泉旅行。てっきり私が留守番してくれると思っていたらしい祖母には呆れられてしまいましたが(畑のイチゴの世話とかを頼もうと思っていたらしい)とりあえず無事に送り出しました。

 慌てて着物を着て髪の毛をまとめて(でも30分で着れるようにはなった!)、まずはお茶。本日は和巾点。なんでも玄々斎(11代目)が天皇に披露したお手前……かと思いきやそうでもないようです。どうやらお茶を献上したら、お礼に布をもらったのでそれで古袱紗を作って、しかも再興したお手前、なんだそうです。利休さんの時代は普通に桑の中次を使うときに普通にやってたのかな? 今は和巾点以外にあんまり桑の中次を使わないようですが。

 ベースは普通のお濃茶と変わらないのですが、古袱紗が一枚挟まることにより若干扱いが変わりますね。古袱紗の上の中次茶入れの格が高いのか正面の位置から動かせないため、茶筅の置き場がちょっと遠くなります。炉と風炉では変わってくるので、風炉になったらまた復習したいですね。釜は3月なので釣り釜。来月は透き木釜になります。薄茶のお茶碗も春めいたものが多いのですが、外は結構な寒さ。桜の開花予想も出てるんですが、本当に咲くのか、と思ってしまうほど風が冷たいですね。

 終わってからは一旦家に帰って着物を脱ぎ捨て、荷物をまとめてYちゃん家に。お昼にパスタをご馳走になり、いざ温泉へ。天川村にある洞川温泉に向かいます。

 高校1年の夏に初めて来てから、登山部のインターハイ予選でも散々来てますし、大学になっても社会人になっても毎年最低1回は来ているのでもう回数も数え切れないんですが、距離感とリーズナブルさがちょうどいいんですよね。毎回Yちゃんとひたすら風呂に入るかしゃべるか食べるか寝るかしかしない2日間を過ごしております。超リラックスな旅なのです!

 うちの実家からだと大体1時間半か2時間弱ぐらいですかね。かなり山奥ではありますが、今は道路も綺麗に整備されているので走りやすいし、大丈夫だろう……と思っていたら、なんと朝に宿から電話をいただいておりまして。路面が凍結しているかもしれないので、ノーマルタイヤだとちょっと危ないかも……とのこと。

 まさか3月末だしそんな!と思って車を走らせていくと、確かに山を越えるたびにどんどん雪が見えてきます。トンネルを抜けて天川村に入ると道路こそ雪はないものの、山にはがっつり雪が残ってるではありませんか! ちょっとまってもう4月だぜ!?とYちゃんとぎゃーぎゃー言いながらとりあえず天川村役場に到着。一旦宿に連絡を入れます。すると、なんとか今は溶けて通れそうですよ、とのこと。無事に宿に到着したのはいいんですが、まさか3月末でこんなに雪が残ってるとは思いませんでした……。今年は本当に読めませんな!

 部屋にはコタツがあり、見えるお庭は真っ白。お風呂もまさかの雪見風呂となってしまったのでした。まあそれはそれで風情があって良かったですけどね! ちなみに風呂あがりはせっかくだからと持参した色浴衣着用です。もともと湯あがり着ですからね、浴衣って。さっそく覚えた帯の結び方をYちゃんにレクチャーしたりもしてました。

 晩御飯を完食し(洞川はほんとご飯がおいしい!)、夜はひたすら日本史の勉強。Yちゃんが持ってきてくれた日本史の教科書と資料集と単語集を使って室町時代を復習してたんですが、室町時代って本当に謎ですね……。謎っていうか、結局室町まとめて戦国時代というか。結局幕府の力ってそんなに強くないし、それぞれの地域で大名が力をつけていく過程が室町時代なので、南北朝の動乱以降、江戸時代に入るまでは結局ずーっと戦国な気がします。

 あと明治、大正の流れも見てたんですけど今気づいた新事実が沢山ありました。政党政治って実は100年も行われてないっていう事実とか!(原敬から、結局WW2でストップ、戦後という流れ)小村寿太郎記念館に行った後なのでそのあたりを復習してみたりしてました。不平等条約の改正ってすごい努力の元に行われてたんだなぁ……。

 そのあたりって、私にとっては随分昔ですけど、歴史から考えるとすんごく最近なんですよね。私にとっての最近ってやっぱり戦後からなので。沖縄ショックもそうですけど、知らないことが本当にまだまだ沢山あるんだな、と痛感しました。

 あと荘園については、荘園という定義自体がそもそも曖昧なんだと知りました。いろいろ突き詰めていってみたい!

 しゃべりつかれたので0時すぎには就寝。いやー有意義です!

 今日はここまで。