三輪満喫。

実はいろいろ初めてでした。


 今日は同期3人を奈良散策にご案内!ということで10時半に桜井駅に車でお迎えに。ちょっと遅れます、というメールをもらっていたので10時40分ぐらいに駅についたんですが、時間になっても現れません。あれ?と思っていたら、メールが。

 まさかの「ごめん今近鉄奈良!」という文面に愕然としたのですが、どうやら奈良は初めてではないものの電車の乗継がぴんとこなかったらしく、3人いたのに3人とも誰も気づかず鶴橋で奈良行きの快速に乗ったらしいです(苦笑)話題が盛り上がりすぎて終点になってはじめて気づいたのだとか。とりあえずすぐさま「今すぐ西大寺まで戻って橿原神宮前行急行に乗って大和八木で降りなさい!」と指示し、車を大和八木へ。なんとか30分遅れぐらいでみんなを回収に成功。

 時間が時間だから先にお昼に行こっか、ということて、畝傍御陵前の近くの洋食屋に……と思ったんですが、まさかの臨時定休日。仕方がなくその近くの中華料理屋にご案内しました。まあ定食が安くてボリュームたっぷりなところなのでね。男子陣には好評だったのではないかと思います。

 無事昼食も終了したので、では今からいざ三輪に行きますか!ということで車を走らせ大神神社まで。私はもちろん何回も来たことがありますが、3人とも歴史好きだけど初体験とのこと。うち1人はレジュメまで持参していただき、3人で大神神社にお参りです。

 てくてく歩いてついでに狭井神社にもお参り。大神神社の荒魂をお祭りしている神社で病気に効くという薬井戸があります。そしてここからなんと、大神神社のご神体である三輪山に登ることができます。登れるっていうことと自体は前々から知っていたものの、私も登ったことはなく。往復2時間ぐらいらしいけどどうする?と聞いてみると、二つ返事で登りたい!とのお答え。さすがみんな歴史専攻なだけあります。

 入山料300円を払い、きちんと襷を受け取り、祓串でセルフお祓いをしてからいざ入山。ひたすらてくてく山道を登ります。

 一応覚悟はしていたものの、想像していたより、きっちり山道でした!(苦笑) あんまり視界が開けないので終わりが見えず余計に長く感じるのかもしれませんが、普通の人にとったら結構な距離かな、と。一応元登山部の私ですら普通に山道やな……と思うぐらいなので、ハイキング気分でふらっと入った女子なんかは結構大変かもしれません。まあ休憩取りながらなら1時間ちょっとでいけると思いますけどね。

 我々は割とハイペースで登ったので、50分ぐらいで一番上まで到達。途中にあった中津磐座(鬱蒼としていてあまり見えず)もそうですが、メインはやっぱり奥津磐座ですね。ここに大神神社の祭神であります大物主神(おおものぬし)がまつられています。

 古事記の現代訳を読んで以来すっかり私のなかでは大物主神=白蛇の神=夜這いかけにきた金髪色白のチャラい兄ちゃんという間違ったイメージが定着してるのですが(でも古事記のストーリー展開見てると本当にそうとしか思えない)、とりあえず大きな岩がどどんとあって、そこにまつられているのだそうです。ただ真昼間で明るかったのと観光客で結構にぎわっていたのでそんなに神聖な場所!という感覚はなかったのですが、なかなか良かったと思います。原始は本当に立ち入り禁止の聖地だったわけですしね。

 ちなみに奥津磐座の近くに別のお社があり、高宮社と呼ばれているところには、大物主神の御子、日向御子神(ひゅうがのみこ)がまつられているそうです。地面が掘り下げられていて島のような形でまつられているっていうことは何か水に関係があったのかなー……と思って軽く調べてみると、どうやら雨を祈ったりしていたそう。やっぱり狭井神社も含めて水系の神様だったのかもしれないですね。

 帰りはさすがに下りということで40分ほどで帰還。合わせて90分ほどで往復できました!

 まあ結構疲れていたので車まで戻り、途中でコンビニで水分補給や糖分補給などしてから、続いての目的地である檜原神社へ。ここは私の個人的な思い出の地でもあるのでぜひ連れて行きたかったのですが、車で行くのは初めて。ナビに言われるがままに突っ込んでいったのですが、軽自動車でギッリギリの道幅の中を草かき分けて突き進みようやく到着。友人たちには完全にびびられてましたけど(笑) まあ狭い道は得意ですから!

 檜原神社は元伊勢のひとつでもある倭笠縫邑であるといわれています。実は私の地元の笠縫駅もその関係が由来してたりするのですが(実は多神社もその比定地のひとつなのだとか! 知らなかった!)元伊勢の名の通り、天照大神をお祭りしています。天照大神はその後もあちこち転々とするらしいのですが、最初にまつられたのはここみたいですね。豊鍬入姫命に命じてまつらせたという縁起が乗ってました。どうやらこの人は伊勢神宮でもセットでまつられている豊受大神穀物の神様)と関連がある?らしいです。いろいろ納得ですね。

 私が以前来たときよりずっと綺麗に整備されていて、欄干も綺麗に赤く塗りなおされてるし、ちゃんとお土産も売ってて神職さんも常駐されてておおお!と嬉しくなりました。最近来れてなかったしなー。やっぱり檜原神社大好きです。何より人気がなくて静かで景色が良くてのんびりできますもの(笑)

 みんなも気に入ってくれたみたいでうれしくなりつつ、車に戻ってさらに足を延ばします。山の辺の道を北に進んだところにある、穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)というところです。

 実はその摂社である相撲神社を目指してたのですが、ナビを見るとさらに奥にもうひとつ神社がある!ということでついでにいくことに。意外と広い境内で、その中にいろんな神社がぽつぽついっぱいありました。メインは「大兵主神」らしいのですが、大元はやっぱり大国主命系?なのかな。調べてみても諸説ありすぎてよくわからなかったのですが、大神神社大己貴神(おおむなちのかみ=大国主命)まつってることもありますし、その系列にいれられているみたいです。中には出雲大社もまつってありましたしね(左右非対称だからすぐわかる!)。その系列なのかなー。

 人が誰もいなくてこちらも快適でした。結構境内には紅葉もたくさん植えられていたので、実は紅葉の穴場なんじゃないかと狙っております(笑)秋になったらまたこよう。

 そして本来の目的である相撲神社もてくてく歩いていってきました。相撲神社は野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)が初めて天覧相撲をしたといわれる場所なのですが、野見宿禰も友人曰くいろいろとあるらしいのです。個人的には桜の木がいっぱいで人もいなくて花見に最適!な神社だと勝手に思ってましたが、いわれを調べるといろいろあるんですなぁ……。

 ということで地元民も全く知らないマイナー神社をまわったところで、時刻は夕方4時。もう寺も閉まる時間だしこれからどっかいく?という話をしていたのですが、友人の発案で橿原市今井町にいくことに。

 当然ながら地元なので今井町の名は知ってますし、何回か別件で行ったことはありますが、がっつり観光に今井町を訪れるのは初めて。友人は何回か来たことがあるらしく、ばっちりこちらもレジュメを用意してきていてびっくりです。いや、勉強になります……!

 とりあえず行く道すがらあれが大和三山のひとつ、耳成山だよ、とか、この高校は畝傍高校って言うんだよ、とか解説を加えてましたけど実は知らないことの方が多いんですよね。地元が一番わかってない! 地元の図書館とか行って勉強しないとなぁ。

 ということで夕方についた今井町。前の道を通過してばっかりで全然知らなかったんですけど、調べてみれば今井町、めちゃめちゃ重要な都市じゃないですか……! 本当に近世になって衰退するまでは「海の堺と陸の今井」って言われるぐらいだったのですね。300年近くもきっちり自治都市として繁栄したっていうのもすごいし、実はすごいんですね!(目からウロコ)

 ただの環濠集落かと思ってたら歴史的にすんごい要地になってるしいろんな有名人が取り合ったり関わったりしてるし、確かに観光地として派手さはまったくないですが、めちゃめちゃ貴重な集落なのねということがわかりました。いやー盲点だった。そりゃ大学の歴史研究してる学生さんたちがフィールドワークでくるわけだわ!(遭遇しました)

 とりあえずざっと解説してもらいつつ端から端まできっちり見せていただきました。いやー興味深かったです。ちょっとちゃんと勉強しなおそう、これは。

 暗くなってきたので晩御飯に向かいますかー、ということになったんですが、せっかくなのでうちの実家の前も観光案内(笑)一応うちの集落は古いし環濠集落の端くれ?でもあるみたいだし、今でも地蔵盆できっちり数珠回しやったりするし、神社の燈明の当番も回ってくるし、秋祭りでお祓いするし(例祭なのかなあれは)、生まれ育った私からするとすべて当たり前の行事でスルーしてましたが、住宅地で育った友人たちにはそういうものは一切なかったらしく、ものすごくうらやましがられました(笑) 田舎には田舎ならではのものがいろいろありますからね。

 なかなか盛り沢山な一日だったね! ということでラストは桜井のお蕎麦屋さんでシメ。以前一度友人に連れてきてもらったお蕎麦屋さんなのですが、なかなかおいしかったです。みんなでしみじみ楽しかったねーという話になり、また次回どっか行こうね、ということで解散となったのでした。

 いや、本当に楽しかったし勉強になりました! また行きましょう!!

 今日はここまで。