無理だって。

妥協という言葉の素晴らしさ。


 10月末までに広報誌を出すことになりました。どう考えても日程的に一か月半しかない状態で通常通りの秋号を、しかも課長が望んでいる形で出すのは不可能なんですが、確かにそれをうすうす感づいていながら初めてということで棚上げしていた私にも十分に責任はあるし反省はするんですが、だからといってそれで無理が通るかというとそんなこともないわけで。どうしても10月末で出すならページ数減らして無理やりやるしかないし、それが無理なら発行遅らせるしかないわけで。ただその単純な話がなぜか課長にまったく通じなくて愕然としました。どうするって、どうしようもないじゃない。あれ、なんで?

 結局まとまらず明日のこと考えたくねぇもう、と投げ打ってほかの仕事を片づけて帰りました。晩御飯はZちゃんと待ち合わせてサイゼリヤです。最高にぐだぐだしてましたが、とりあえず理科教育なんかについて語り合ったり。塾講経験があればいまどきの中学生に科学に興味を持ってもらう難しさとか痛感すると思うんだけどな!!

 よくよく考えたら私が理科を好きになったのってやっぱり家庭環境もでかいし小学校時代の経験もでかいなって思うわけですよ。私が物心ついたときには兄のために購入された天体望遠鏡や顕微鏡があったし、図鑑も一通りそろってたし。回りは田舎なので生き物には困らないし、学校では小学校4年生のときの担任の先生がすごい人で、氷と塩使って試験管でアイスキャンデーづくりとか、水加熱して対流の実験するのにわざわざお味噌つかって味噌汁作ったりとか、そういう楽しい実験をいっぱいしてくれましてですね。

 そういや新聞読んでて何かのコラムで、「子供に本を読ませるにはどうすればいいか?」という相談に「親が本を読むこと!」と答えている記事があってさもありなん、と納得したのでした。私が本を読むようになったのは家に本があふれていてかつ、両親が本好きだったからですよ。本読めって言われたことなんかないですもん。

 親が科学が好きでそういうものをそろえるのを惜しまない人だったから家にいろんなものがあって、それに触れて育てばそりゃそういう子供になりますよね。子供は親の背中見て育つんですもんね。

 ……とかまあそういう話で熱く語り合ったのでした。それはそれで楽しい。

 今日はここまで。