鳥と植物と歴史と。

十津川村には見どころたくさん!


朝方に結局一回トイレに起きちゃったんですが、変な夢などはそんなに見なかった、と思います! 朝からIさんの大きな伸びの声で目が覚めましたが、どうやらIさん曰く私もいびきかいてたらしいです。まあ鼻炎が発症してますからねぇ。ただIさんも気にせず眠れたようなので良かったです。Iさんと私はとりあえず朝風呂いってみましょ!ということで朝から露天へ。出発前の予報では今日も雨予定だったんですが、見事に晴れておりました!! 素晴らしい!

朝ごはんも盛りだくさんで、今食欲中枢がおかしいのもあってか普通に完食。茶がゆと芋ご飯と卵かけご飯という炭水化物押しなメニューがすごかったですが、どれもするっといただきました!

部屋に戻って片付けて、とりあえずじゃあ近くにあるというミニ吊り橋というのに行ってみて、そこから玉置神社にいってみますか、ということに。荷物をまとめ清算をしていると、なんとミニ吊り橋は現在板の架け替え工事中で通れないとのこと。じゃあもうそのまま玉置神社にいっちゃいますか、ということで向かいます。

玉置山という山の山頂近くにある神社なのでひたすら山道を車でのぼります。ですが結構手前まで車でいけて、800m手前らへんに駐車場がありました。そこもかなり見晴がよかったですよー! かなり和歌山よりの奥地になってくるので、植林されてるところもありますが広葉樹も結構あって、それが色とりどりに紅葉していてとても風情がありました! 参道というかほぼ山道を歩いていくのも軽いハイキングにはちょうどよく、また樹齢3000年はあろうかという巨杉群があります。幹の太さが9mとかなんですよ! 雨上がりの山の中、巨大な杉に身を預けるだけでなんかもうパワースポットとかマイナスイオンとか関係なく心が洗われる気分でした。いやもうそれだけの力をもつと思いますよ。他にも玉置山は玄武岩質らしく、ところどころに岩がありました。これも杉と合わせて天然記念物に指定されているそうです。

神社までの道すがら、植物や鳥に詳しいIさんがあれこれ解説してくれるんですが本当にすごかったです。私たちが何気なく見過ごす小さな植物にはっと気づいてこれはこういう名前でこういうところに生えてこういう花が咲いて……と語り、鳥の鳴き声が聞こえればあれはこれこれの仲間で……とまあこんなもんです。半分以上忘れましたけど(笑)でもすごいな!と素直に感心しました。何事にもやはり解説がつくとそうなのか、という気分になりますし、またその小さな植物がそれだけ珍しかったり貴重だったりすると感心もしますしね。自然というのはすごいのだなぁと素直に感動しておりました。

てくてく歩いてようやく本殿に到着。調べたところどうやら本殿は江戸時代に建てられたもののようですね。でも社務所の方が重文指定を受けていて、どうやら神宮寺の本殿や庫裏を明治の神仏分離でそのまま社務所にしちゃったみたいです。なので襖絵などがあるそうですよ! その時はそこまでみませんでしたが、もともとは霊山としてあがめられたところが縁起となっており、玉置山の地形や植生が山頂のみ玄武岩でできていることにより通常この標高ではあまり起こらない針葉樹と広葉樹の混在や、溶岩の形などが崇拝の対象になっていたようですね。まさに玉を置いていたような地形だった、ということで。崇神天皇が熊野本宮とともに建立したってことになってますから歴史も相当古いです。まあ大峰山系の霊場自体が古いんですけどね。

祭神は国之常立神(くにのとこたちのかみ)とイザナギイザナミ。この国之常立神をまつってる神社ってのは初めて見たかもしれません。古事記にも日本書紀にも出てきますが、あくまで国生みをしたのはイザナギイザナミであってそれより前に登場する神代七代ってのは名前だけしか出てこなくて何のための存在だったのかいまいちよくわかんない神様ですもん。調べてみたらこれを祭神としてる神社はやっぱり少ないみたいですね。だってよくわからない神様なんですもん……性別も不明だし。なんでこれをまつることになったのかはちょっとよくわからないんですが、もしかしたら神仏分離のときにまた何かあったりしたのかな?

この神社の紋が天平庵(桜井市にある和菓子屋さん)のマークとまったく同じなんですが、どうやら関係はなさそうです。(天平庵は大和三山から独自デザインしたそう)某ミッ○ーの顔をひっくり返したような○が3つ重なった紋なんですが……って調べてたらどうやら州浜紋といって河と海などの接するところで、曲面の入り組んだ洲の様子を表す紋なのだそうです! へぇ! 神武東征の際に八咫烏の案内で軍を進めていた神武天皇が休息をとった場所、といういわれもあるそうですね。まあこのあたりは掘ればいくらでもいろんな伝説がでてきそうですけど(笑)

社殿自体に興味津々なのは私ぐらいだったので早々に引き揚げ、そのまま玉置山の山頂をめざすことに。15分ほどでしたが晴れていたし空気も良くて本当に気持ちよかったです! 山頂からの見晴らしもなかなか! 別グループの方と一緒になったので写真をとってもらい、駐車場までの道も続いているというのでそのままぐるっとまわっておりてきました。シャクナゲがたくさん植えてあったので、春(というか初夏?)に来るのもよさそうですね! いやーよかったです玉置神社! めっちゃ奥ですけど!

Hさんがカメラを宿に忘れていったん取りに戻る、という事件もありつつ、帰路に向かいます。結構玉置神社で時間を使っていたので道の駅十津川でお昼ご飯。すだちそばをいただきました! ここもやはり天気がいいので景色がいいですねぇ。温泉の香りもありますし。ちなみにここが湯泉地温泉という別の温泉になります。前に来たときはここに宿泊したんですよねー。

じゃあ笹の滝へもよって行きますか、と思ったらそこで道路通行止めの情報が発覚し、今回は断念することになりました。なんでも一回復旧したらしいんですけど、その後の大雨でまだ寸断されちゃったみたいです。まあかなり細い道でしたしね……生活道路でもないしね……。来年3月を目指して工事中だそうなので、またいつか!

ということでそのままどんどん戻って今度は晴れた谷瀬のつり橋です! 今度はちゃんと写真もばっちりとれましたよー。売店は見たので今度は対岸の谷瀬地区の方から下のキャンプ場の方まで降りてみました。その途中で黒木御所跡があったんですが、黒木御所という言葉自体は仮の御所(木が黒いままで立てたという意味)で後醍醐天皇の息子である護良親王をかくまっていた場所だそうですな。ああ、南北朝時代!!! 頑張ってwiki先生に聞いてみたんですがこの護良親王自体は最初に後醍醐天皇隠岐に流されたあとすぐに十津川に逃げて再興をはかってたみたいですね。後醍醐天皇が京都に戻ってきて建武の新政うちたてて南北朝時代に突入したあたりで親子が不和になって結局どうもとらえられた上に鎌倉で幽閉されて若くして亡くなったとか。このあたりが本当にわからない! 今陰陽師効果で平安時代に傾倒してますが、それが終わったら鎌倉時代にいきますから! そのあたりでなんとかいろいろ理解したいものです。うう、ややこしいよう。

まあ十津川はこうやっていろんな人が逃げ込んでくるところなんですよーってことと、あと天誅組が幕末に頑張りました!ってことだけ説明しときました。幕末もね、本当は掘り下げたいんだけどね……!

キャンプ場はシーズンオフで誰もいなかったんですが、はじめてつり橋の下の河原にいったので新鮮でした! 下から見上げるつり橋というものもまたなかなか。ここでもかなりまったり時間を過ごした気がします。

さてではいい加減戻りますか、ということでようやく大淀あたりまで帰ってきたところでちょっとしたイートインのできるケーキ屋さんを発見。もう夕方でしたがケーキとコーヒーでひといきついたのち、大和八木駅までお送りしたのでした。いやしかしなかなか満喫な旅でしたよ! 雨のつり橋と晴れのつり橋を二度経験しましたしね(笑)玉置神社も予想以上に良かったのでまた行きたいなと思ったり。めったに十津川のそんな奥まで行くことないですからねぇ。それからやっぱり道はまだまだ復旧作業中だし、仮設もたくさんあるし、皆さんにはぜひぜひ訪れていただきたいものです。いいところですよ、十津川村、本当に!

帰ってきてから晩御飯に筑前煮と味噌汁とご飯をいただき、お風呂も早々に入ったあと、姉とひととおりシャーロック談義を交わし(もはや定番)早めに就寝となったのでした。

今日はここまで。