正直なめてました。

滋賀ってすごいんだよね……!


朝はちゃんと7時半に起きれたので久々に戦隊ものからテレビを見ておりました。甥っ子が大好きなビートバスターがどうなっているか見てやろうと思ったらなかなかにピンチじゃないですか! ていうかそんな設定だったの!?と久々に見たらえらいことになってました。いや赤い子も普通に戦ってたけどね。そうかやっぱりビートバスターがええのんか……(甥っ子の趣味に一抹の不安)ついでにウィザードを見、題名のない音楽会が戦艦ヤマトだったので熱くたぎったところでYちゃんのお部屋にお迎え。本日は長浜に向かいます!

前回長浜に行こうとした途中の佐和山城跡で石田三成に捕まるという事件があったのですが、今回は無事に到着しました長浜城! 天気がすんごいよくて、城周りの庭園の紅葉がすばらしかったです!! 日曜ということで人もそこそこ多かったんですが、京都に比べればゆったり見れましたし、とっても素敵でしたよ。湖にも映えますなぁ!!

で、長政様のお城!とか思ってたらむしろ長浜城は秀吉の出世城として世に名をとどろかせておりました。あれおかしいな?と思ったら秀吉が姉川の戦いで武功をあげて浅井氏の領地をもらって小谷城の材料使って作ったのがこのお城でした。長政様はもと領主だったうえに三代目で浅井氏自体も京極氏の家臣からの下剋上ってことでそんなに長くなかったんでした!知らなかった!!長政様がやっぱり有名ですからねぇ。城内に入ろうとしたら1000円で長浜浪漫パスポートといって15施設中5施設までの入場券がついたものが売っていたので早速購入。城内は縄文時代からの湖北の歴史について展示されておりました。そういえば琵琶湖に沈んだ遺跡があるっていう話もありますからね。

秀吉がはじめて一国一城の主となった城ってことで、その後も発展していきます。小堀遠州も元は浅井氏に仕え、のちに秀吉、家康と仕えて茶の道を大成された方だそうです。ということでお茶室が設けられていたんですが、遠州流の方のお点前をはじめて拝見して、本当に裏千家と違う袱紗さばきや手の動きにほほうと見入ってしまいました。小堀遠州大和郡山にいたということもあり、奈良に遠州流の先生がいらっしゃるそうですよ。そういえばなんかどっかでその名前を見たことがあるような気がするんだよな……。戦国武将を掘り下げていくともれなく茶の湯にあたるので、やっててよかったお茶!とこんなところでも思いました。やっぱり知っているのと知らないのでは違いますからねぇ。

最終的にはやはり彦根城に吸収されてしまうので本来の遺構はわずかしか残ってないのですが、復元された天守から琵琶湖が一望できるのはすばらしかったですよ! 秀吉の長浜城の再現にこだわったそうです。やっぱり機内では太閤さんの名は廃れていないのですねぇ。

場所を移動し駅前の駐車場に車を置きなおしてからはひとまず秀吉・三成出逢いの像と記念撮影。三服のお茶をたてたという逸話があるのですが三成はやっぱり賢い子だしいい子だと思うんですよ! へいくわいだけど! 秀吉はともかくきちんと三成の像も一緒に立ててくれてるのがうれしいですね。とかく三成びいきなもので!

そこから黒壁スクエア周辺をふらりとひやかしつつ、おそめのお昼ご飯でさば素麺定食をいただきました。甘辛く炊いた鯖と素麺のおかずだったんですがなかなかどうしてこれがおいしかったんですよ! あれとご飯はよくあいます! 炭水化物オン炭水化物というのがやはり西であるなと思わせてくれますねぇ。しかし黒壁周辺のにぎわいはすごかったです! 秋の行楽シーズンということもありますが、彦根もそうだし、滋賀って結構やるじゃん!という上から目線になってしまった奈良県民ですスイマセン。でも本当に湖北とかちゃんときたことなかったので正直こんなにいろいろあるとは思ってませんでした。楽しいよ湖北!!

もちろんガラスなんかもゆっくり見れたら良かったんですが、それよりも歴史的な方が気になるということで長浜鉄道スクエアと慶雲館に向かいます。鉄道スクエアは案の定楽しかった! 乗り物ってテンションあがりますよねやっぱり!! 子供たちも大人たちもおおはしゃぎでプラレールジオラマに見入ってましたし、SL(D51)の機関部分なんか写真とりまくりって話ですよね! いや甥っ子の気持ちがわかりますわ。なんだかんだで私、車も電車も好きだもの! なんで長浜にいち早く機関車が?と思ったら、日本海と太平洋を結ぶための物流大作戦だったわけですね。最初が東京-横浜、次が大阪-神戸、で敦賀-長浜ですからね。長浜から琵琶湖汽船で大津まで運ぶというルートをとったようです。確かに最短で済むけど! そのため現存最古の駅舎がそのまま博物館になっております。待合室などなど。明治大正の浪漫を大いに感じることができましたよ!

ちなみにその向かいにあるのが慶雲館なのですが明治天皇が京都行幸の帰りに長浜に立ち寄られるということで大慌てで作った迎賓館なのだそうです。庭園も建物も見事で、2階の和室の照明が明治らしくちょっとモダンなシャンデリアになっているのが素敵です。玉座の間に御簾が掲げられているのを見ておう確かに御簾な……!と納得したのでした。で、慶雲館は毎年長浜盆梅展の会場にもなっているのですが、そのポスターがまた秀逸でね……! 樹齢400年とか樹高2メートルとかすごいレベルの盆梅(鉢植えだぜ……!)が出てくるのでこれは見なくてはならんと思うのですが、そのポスターを作成されている長浜観光協会のシャレが大いにきいていて良いと思いました。今年はNGB10(ナガハマボンバイテン)としてセンター争いを繰り広げられるそうです。赤チェックとピンクに彩られたポスターがもう! ちなみに名前が「不老」とか「さざれ岩」とか「昇竜梅」とかですけど!(勝てる気がしない)

よしでは次はいよいよ長政様じゃ!とうことで駅から少し離れた小谷城跡へ。まさに姉川の闘いの舞台となった城ですが、いってみればまさに山の入り口に陣がしかれておりました!というか小谷城も全然知らなかったんですが普通に山城なんですよね。なので天守も何もないし、山を利用してそこに点々と屋敷や本丸などを築いていったわけで、跡を見るためには登山装備が必要です(熊も出るよ!)ってなってました。そりゃそうだよね!! 資料館に入ったらパンフに本気の等高線入った地図を渡されましたもの。この城、攻めるにはなかなか体力がいりますぞ……!

最後になんとかもう1館、ということで、国友鉄砲の里資料館へ。今も国友町という地名が残り、ひっそりと集落の中に資料館がありました。が、これがまた面白かった! 火縄銃の作り方をちゃんと見ることができましたし、日本の技術力の高さを見ることもできましたよ……! 確かに日本にネジ文化は一切なかったので、ネジを作るっていうのはすごいことだったんだなぁとしみじみ感じました。発想の転換ですよね本当に! ちなみに堺も鉄砲が有名ですが、江戸時代においては堺は豪華な細工や象嵌を施したのに対し、国友の鉄砲は実用的で機能重視だったそうです。中筒から大筒、短筒も沢山展示してあってこれまたテンションあがりますよね。武器もやっぱり好き! はじめて銃を撃った時の感覚を思い出しましたよ……!(グアムやった実弾射撃はすごかった)

もう日は暮れかかっていたのですが、最後にこれだけ見せて!!ということで石田三成生誕の地とされる、石田町へ。暗闇の中なんとかたどりついたのは屋敷跡でした……!でもちゃんと出生の地という碑や産湯の井戸なども残されているらしいのですよ!そうだよね三成愛されてるよね!!と帰路についたのでした。

晩御飯はスシローで綺麗に10皿きっちり食べ、帰りも京都‐奈良間を通って帰る気が起こらず、亀山まで抜けて名阪国道を使って帰還と相成りました。でもこっちの方がすっとばせるし、ストレスたまらなくていいと思うんだ!!

今日はここまで。