昭和の歴史。

近現代が気になってきた。


 今日は母方の祖父母のおうちへ行くよ!ということで、今年は姉も一緒におでかけです。途中スーパーでお寿司となぜかタコヤキを買って(姉がこの前くいっぱぐれたらしい)一年ぶりの訪問です。今年は祖父が米寿ということでお祝いをしよう、という話なんですが、もう88歳かぁ、という気分に。なんかこう、自分が年をとることより祖父母たちが年を重ねていくことの方がなんだか私にとってカウントダウンな気分になってしまいます。いつまでも元気でいてほしいのだけども!本当に!

 でも母方の祖父母も本当に活動的なので(よく考えたら父方の祖父母も母方の祖父母も全員活動的な人間でした/そりゃこんな孫になるよね)、祖父の写真とかアルバムを見せてもらうのが楽しかったりしました。祖父母ともに元小学校教師で、祖父は校長先生まで務めた人で、そして祖父かなりの歴史好きであります! ここ数年は私が歴史好きになったので今年も早速今年の大河ドラマの八重の桜に関するムック本を見せてくれたりしました。幕末ですよね……! 会津若松は行ってきましたからリアルにちょっと気になるんですよね。

 それから私がとったデジカメの中身を見せたり。知覧に行ってきたよ!という話をしたら、祖父も知覧に行ったことがあるらしく、その時の思いを語ってくれたりしました。祖父は終戦の年の春に徴兵されて、実際に大阪や神戸で訓練を行っていた人ですし、その時代の人ですから、特攻記念館では涙でとても見られなかったらしいです。でも涙を見られるのは恥ずかしくて一人外にでて泣いていたのだとか。私が見たものと祖父が見たものは同じでも、きっと胸にくるものは全く違うんだろうなぁと思います。想像することしかできないけれど、こんな率直な話が聞けるのはすごく大切なことだな、と。

 お昼に祖父が訓練のときの様子を話してくれて、基地を神戸から堺まで移設するという任務を請け負ったらしく、大八車で押していたのが途中で壊れて、何十キロもある荷物をみんなで担いでひたすら歩いたと。梅雨時で雨が降って大変で、野宿を続けて、頭巾をかぶらないと眠れないほどの蚊で、暑くて、堺について民家に泊まらせてもらった時は本当に夜が一瞬に感じられるほど布団がうれしかったそうです。それからも訓練を続けて終戦間際の物資がない時代に竹やりもって訓練してたこと、終戦当日も訓練をしていて、基地に帰ってくるときにそこら辺の農家の人たちが「戦争終わったのに兵隊さん何してはるんやろ」と言われて、帰ってきて終戦を知ったこと。

 終戦を知った時はもう泣けて泣けて仕方がなかったけど、今から思うとなんであんなに泣いたのかもうわからんな、という祖父の言葉にものすごく重みを感じました。それがきっと戦争の歴史のひとつであり、また戦後を生きてきた祖父の率直な思いなんだろうな、と。

 まあ午後はお笑いみたりなんやかんやしてたんですが、これまた毎年会わねばならぬ!と本当に思います。帰り際に応接間に祖母の菊花展でとったトロフィーケースを見に行ったらついでに昭和の歴史全10巻みたいな本気の冊子(図鑑サイズ)があって貸したろか、と言われたんですがさすがにいきなり持って帰れないのでまた今度、となりました。いやでも本当に2泊ぐらいしてあれ全巻読み切りたいな……!ちなみに祖父はもちろん古事記も網羅しているので、橿原神宮で林間学校のお世話をしていたときに、子供たちに神武東征の話をしてあげたそうです。そりゃ橿原神宮で話するならそこしかないわな!(笑)

 帰りにユニクロに寄ったんですが新年早々やはりすごい人でした。暖パン狙いでいったんですが当然の如く奇抜なカラーしかサイズが残っておらず、キッズのXLやメンズのSを試してみるもあわず、購入見送りとなったのでした。でも母にお年玉としてヒートテック八分袖と毛糸のパンツは買ってもらいましたけどね! どうでもいいですが試着するときに裾が長すぎてまったく合わないことを「松の廊下」と表現したら母も姉も当たり前のように理解していてやはり家族……!と思ったのでした。これYちゃんは理解してくれると思うけどほかの人は無理だろうな……。でも私はそんな比喩表現が大好きなんですがね(笑)

 晩御飯はおせちの残り(本気で3日間食べ倒したな…)ともろもろとご飯でささっと終了。荷物もなんとか押し込んで、大阪へ帰還です。帰ってきてからはとりあえずHDDの整理!と思ったんですが年末年始の疲れが出ていたので早めに就寝となりました。明日いったらまた休みだ!

 今日はここまで。