家族ゲームが面白い。

家族って何だろうね。


 今日も今日とて写真撮影などなど。とはいえ今の業務分担的に遊軍的に撮影にいったり取材にいったり話聞きに行ったりできるのは私以外いないわけで。まあ今後の課題は今後に任せます(棚上げ)。

 さて帰ってきてからは昨日見損ねた家族ゲームを見るなど。今期のドラマは八重の桜と空飛ぶ広報室家族ゲームを見てるんですが、どれも面白い! 八重の桜はいよいよ鬱展開というか、会津にとってはつらい展開が続くんですけど、幕末ってやっぱり面白いですね。なんだかようやく幕末の面白さがわかってきた気がします。戦国もそうなんですけど、私はとことん判官びいきなんでしょうね(笑) 篤姫のときになんとなく一応は見てたつもりだったんですが、薩摩にはまらなかったのはやっぱり薩摩が勝者だったからなのかなぁ。そのときも小松帯刀が一番気になってましたしね。

 会津がすべて正しいわけではないし、そりゃまあいろいろあったんでしょうけど負けた側だっていろいろ考えて頑張ってたんだよ!!というのは興味があります。あとは純粋に日本という国がどういう形で成り立ってきたのかっていうのを見るのは面白いですよね! 歴史面白いわー。会津藩租の保科さんも気になるし、江戸幕府の政治機構的なのも気になるし、そういう意味で掘り下げていくといろんな仕組みや流れが見えてきて、それを作っていた人たちの思想や行動っていうのがより面白く見えてくるというか。これが後のこの流れに影響を与えているとか、今のこれにつながっている、というのがあるとふおおおってなります。願わくばそれを実際に現地で見たり聞いたりして体感するとより良いですよね。ああ、八重の桜が終わってからもう一度ちゃんと会津若松に行きたい! あと京都もちゃんと観光したいですね。興味が平安・鎌倉・室町ぐらいまでだったんで、今まで寺と神社以外スルーしてたもんですから。

 で、容保さまに毎週ああああ……!ってなったあとに空飛ぶ広報室を見て元気にしている空井くんをみてほっとするという(笑)でも普通に空自の皆さんには癒されるし素敵です。もともと松島のかき祭りやら三輪のおんぱらさんとかで自衛隊音楽隊の皆様にはすんごく馴染みがあったんですが(かき祭りでは自衛隊の皆様がカキ汁をふるまってくれたりもする)(奈良県にだけ陸自の駐屯地がないという事実におののいたりしたけど/おんぱらさんで演奏してくれているのは伊丹にある千僧駐屯地の皆さんで師団直轄の音楽隊なんだそうです)航空自衛隊の皆さんは全然知らなかったのでね。純粋に私も飛行機は大好きですし、広報という仕事から見ても大変に勉強になります。やはり企業広報とはまた違った大変さがありますし、とくに自衛隊ほど誤解を受けやすいところもないでしょうからねぇ。

 家族ゲームはもともと期待してなかったんですが(基本翔さんに関してはハードルは低くしています)、予想以上に面白いです。いやー吉本先生いいねぇー。でもこういう家族って世の中にいっぱいあるんだろうな!というのは見ていてすごく思うので。いじめられていたこともあるし、かつ塾で子供たちを教えていたこともあるんで思うんですが、本当に家庭環境が子供に与える影響っていうのはハンパないのですよ。全てが親の責任だとは言いませんけど、逆に大半が親の責任に決まっているだろう、とも思うわけです。親の顔が見たいと思いますし、親の顔見てあーなるほど、って納得する部分もあるし。

 変な話、父親だから、母親だから、というのはそんなに関係ないと思うんです。フロイト先生に怒られそうな気がしますけど、母性だとか父性っていうのは性質としてあるかもしれないど、父母としての役割分担じゃなくて、「親」としての定義がまず大事なんじゃないかな、と。親は子を育てる義務と責任があると思うんですよ。父に限らず母に限らず。得てしてその義務と責任を誰かに押し付けたくなるものだと思いますが、自覚して押し付けるならまだしも、無意識に押し付けて見ないふりするっていうのが一番タチ悪いよね、というのがこのドラマを見ててすんごく思います。

 私は反抗期っていうのがなかったんですよね。それは別に悪いとは思っていなくて(反抗は祖母にしてたもんで)すごく早い段階で私と親は違う存在であるということを気づかせもらったので反抗する必要性がなかっただけだと思うんです。これは第二の性を読んだり友達の話を聞いたりして思うんですが、うちの親は基本的に子供に対して助言はすれど強制はしないんですよね。昨日の話じゃないですけど、親が子供に、あるいは先生が生徒に対して「これが正しい」という価値観を教えるときに、何をもって正しいとするのかという基準がいると思うんですよ。それが法律なのか常識なのかいわゆる「世間」というものなのかは別ですが、根拠として「私はこれが正しいと思っている」という親なり先生なりの意見があるわけじゃないですか。

 でも得てしてその意見は姿を隠して「それは普通正しいとされている」ので「正しい」という押し付けになると思うんですよね。それがまだ小さい子供なら親の言うことは絶対として「親の言うことは正しい」「それに従うことが正しい」「それに従わないことは正しくない」というだけの考えかたになると思うんです。無条件に親は絶対の存在になってしまって、たぶん中学生ぐらいで自我との対立があって、そこで親は絶対ではないということに気づくのが反抗期だと思うんですけど、私はだいぶ早い段階で「親はこれを正しいと思っているが、私はこれを正しいと思うだろうか」ということについて考える機会をもらえたという気がします。

 人間関係に苦労して学校に行きたくなかった時期も多かったですけど、その中で「学校に行かない」という選択肢がなかったのは、私の中で「学校は行くものである」という前提があって、わりとそこは自分の意思だったような気がしますね。もちろん学校では不登校な子もいたし、その子はその子で考え方が違うんだな、と素直に受け止められたので、たとえば「学校に行くのが正しいことである」というのではなく、「私は学校に行くことが正しいと思っている」という意見でとどめられたのは親の影響なんだろうな、と思います。

 まあ両親が共働きだったとか、祖父母や兄姉がいたっていうのも大きいと思いますけどね。それだけ違う考え方の人間が集まっていれば、自然と多様性が身に付くというか、考え方はみんな違うんだということを自然に受け入れられますもん。

 そんな中でじゃあなぜそういう考え方にスムーズになれたかというと、上記のことを全部ひっくるめて「コミュニケーション」だと思うんです。もっとさっくり言えば「対話」。言葉が全てではないし、環境や経験、体験というものはあると思うんですけど、それを理解してもらうことに努力を惜しまないというか、伝えるためにきちんと対話ができているのがそもそもの前提だと思うんです。意見は交換しないと意味がないからね!

 子供は教えてもらわないと何も知らないわけです。だからこそ教育する必要があるし、そうやって育てていく必要がある。親が知っていることを子供に教える義務がある。自分の意見を持つことや、自我を持つことだって教えられないとわからないんです。何がしたいとか何が好きとか何になりたいとか、そういうことを考えされる訓練をしないと自分で自分について考えるなんてできないんですから。自分の意見を持つことを禁じておいて、いざ大きくなってからやれ「自分の意見がない」だなんて言われたらたまったもんじゃないな、と思いますよ……!(今の大学生を見ていてそういう若者のなんと多いことか)

 まあドラマを見て何を思うかは人それぞれなのでしょうけど、願わくばいろんな世代の人が見て考えるきっかけになればいいよなーと思います。「家族だから」という理由で人間関係が成立しているのではなく、「家族であるため」の努力をしなければ人間関係なんて成立しないんだよ!

 今日はここまで。