不動明王様に胸キュン。

やっぱり慶派にぞっこん。


 本日は奈良博!ということでその前にYちゃんとランチをすべくJR奈良駅へ。駅ビルに新しくできたJAアンテナショップ的なところでお昼のランチをしておりました。まあ怒涛の今週の報告を改めてYちゃんにご報告であります。結局話のオチとしては毎回八尾に向かって頭下げとけってことになりますよね、ええ。

 まあYちゃんも今週はいろいろあったということで報告を聞いていたんですが、やっぱり親世代の健康問題というのはそろそろ気になってくる話題ですよね。うちの祖父も早くに亡くなっているわけですし、思うところはいろいろありますやね。まあ詳しい検査結果はまだということなのでこれから覚悟がいるのかな、という話にはなるわけですが、結局のところ一日一日を大事にかみ締めていくしかないのかなぁという気がしています。愛すべき日常を大切にしなくては。

 まあ本日は心を洗おうではないか!ということで、奈良博で開催中の「醍醐寺のすべて」に行ってまいりました! 秀吉の「醍醐の花見」ぐらいしか知らなかったし行ったこともなかったんですが、歴史はもちろん、文化財の所蔵数がすごいんですね! 資料系の国宝の数には度肝を抜かれました。もちろん全てが展示されているわけではないんですが、それでもなかなか見ごたえがありましたよ。事務処理系のお手紙に三成の名前が書いてあって本当にあの子はめっちゃ真面目に事務屋さんだったんだなぁとしみじみし、その後派閥関係の決着つけるのに権現立会いの下で話し合いを行ったとかもあって、そりゃお仕事大変ですねぇとしみじみしたのでした。こんなところで関ヶ原に出会えるなんてね!

 ハイライトはもちろんご光臨なされた五大明王の皆様です! もう迫力と目つきが全然違うのです。サイズが大きいのもありますが、やはり造詣美といいますか、みんな頭とか目とか手とか足とかの数がいっぱいあるのがデフォルトなんですが、それなのにバランスが破綻していないのがすごいなと思います。もうラスボス感がハンパない。これ絶対二周目からは仲間にできて召喚とかできるよね、とYちゃんとはしゃいでおりました。

 密教についても一応さらっと知識はあるのですが、大日如来不動明王は散々見ていたものの、五大明王をちゃんと見るのは初めて。金剛夜叉明王様は目が五つあるのが特徴的なのですが、その目つきがもうかっこよくて……! 迫力あるイケメンなのですよ。古代インドのヴァジュラヤクシャが元ということですが(このあたりが微妙にインドに行ったときに深入りした知識とスプリガン知識がごっちゃになっている/とりあえず雷を操るんですよ確か)仏教に入って悪を成敗する神様になって、そこから戦勝祈願の神様になったとのことです。まあでもこれは祈らずにはいられないかっこよさですわね!!

 降三世明王は下に普通の人っぽい造詣の何かを踏んづけて立っていたので何ぞ、と思ってたんですが降三世って「三千世界の支配者シヴァを倒した勝利者」っていう意味だったんですね!!(Wiki先生情報)なので下に踏んづけているのはシヴァと奥さんのパールヴァティーという……。いやまあ異教徒ではありますけども、こう、仏教的には他教の神様も仲間にしちゃっていっしょに拝むと思っていたので違和感が……。シヴァも大自在天っていう扱いになってるはずなんだけどなぁ。でもまあ元になっているシュンバとニシュンバっていう兄弟?がそもそもインド神話的にシヴァをやっつけたってことになっているのでその属性を取り入れているというか……うーん、あれか、強いやつが正義的なドラゴンボール的な発想なのかな!
 
 まあ軍荼利明王の起源については調べてみるとさらにカオスでしたけどね……チャクラだのアムリタだのが飛び交ってきたのでよくわかんなくなりましたが、どうもそういうパワーの概念が神格化されたような……?(一応造形的には第三の眼があるのもそういうことらしい)もとは女性神だったところが中国で性転換されて男性神になったということだそうです。いやぁ複雑。

 大威徳明王が一番特徴的で、六面六臂六脚で水牛にまたがっております。牛といえば天満宮だねぇと思っていたらやはり関係なくもないようで、道真さんの御霊を「日本太政威徳天」と呼んだりするそうです。なるほどねぇ。

 五大明王のセンターは不動明王様なのですが、まあこれは貫禄がありました! ちなみに不動明王様もいろいろ伝説がありすぎてアレなのですが、基本的にはやはりシヴァを倒したってことでいいのかしら……? まあインドにおけるシヴァはいろいろアレな設定がたくさんあるので、ある意味仏教的には従わせるのに苦労したっていうのはわからなくはないですけどね。でも日本的には大日如来の内なる怒りを表現しているということでいいのかしら。でも不動さんは見てて好きですけどね。

 この五大明王とは別に、小さいサイズの快慶作の不動明王がいらっしゃったのですが、これがまあイケメンでですね! 顔が正面を向いておらず、少し斜に構えたところからぐいっとにらみつけておられるので眼が合った瞬間に胸が射抜かれて思わずキュン、としてしまいました。これはまごうことなく胸キュンでありますよ! いやぁ慶派ってやっぱりすごいんだなぁ。

 そしてチラシにも使われている弥勒菩薩もやっぱり快慶作で、これがまあ綺麗でふくよかでお美しいのですよ。五大明王もそうですが、この弥勒菩薩もお堂で拝見するとまた違うんだろうなぁと思いました。これは醍醐寺に行かねばなるまい!

 でも平安後期から鎌倉までいろんな仏像が一度に見れたのは良かったです。京都にしては珍しく古い仏像や資料がたくさん保存されているのが貴重ですよね。(なにせ京都は焼けすぎである)

 ちなみに常設のほうのなら仏像館も来年3月まで改修工事で休館ということで巡回してきたのですが、結構入れ替えもあって知らないものも出てました。建物自体も古いし、洋館建築に興味が出てきた昨今でもあるので、興味深くポーチなどの設計やデザインなどを見ておりました。やはり明治期の洋館建築ってロマンがありますよねぇ。

 最後に普段は全スルーしている青銅器展示もちょろっと見て、終了。がっつり全部回ったら普通に17時過ぎてましたからね! 見ごたえあるわー。

 晩御飯は王将でもりもり餃子と坦々麺を平らげ、サイゼに移動してそこから本気出して恋愛について議論を交わしておりました。恋愛とは何か、というのはもうここ数年ずっと私が悩み続けているところなのですが、結局のところ嫉妬とか独占欲とか依存とかそういうものが派生する源であるのではないかと。で、つまりそこの本質はやはり「同一視」ではないかと思うのです。

 私は基本的に自己は独立していると思っているので、あくまで家族だろうが友達だろうが「他人」なのですよ。「他人」同士が家族という枠組みを作っているし、友達という関係性を築いているのであって、それには維持するための努力が必要だし、他人は基本的に尊重すべきである、という考え方に基づいているので、他人を自分と同一視するということはありえないと思っています。が、どうやら世の中的にはそうでないことが多々あるようで。

 その考え方が良くわかっていなかったので、他の人間から「私がこんなに苦しんでいるのになんであなたは元気なの」とか「○○さんより私のほうがあなたと仲良いよね」とか「○○さんと××さん、どっちの味方なの!?」といったようなこう、さも「私とあなたは同一であり、私の意志を尊重する存在である」ことを強いられるような関係性が苦手でしてね……。私としては彼女達が嫌いではないし、人として尊重しているのでただただその意思に応えられないことが悲しいといいますか。ごめんなさいとしかいいようがなく、それでまあプンスカされて怒られて嫌われて攻撃されて、かといって別にそれに対しては申し訳ないとしかいいようがないので怒りもわかず、ただただ悲しいということになるわけです。いや本当にごめんなさいとしかいいようないのよだって私とあなたは違う人間なんだもの!

 そう思うと姉となぜケンカになっていたかがよくわかりますよね。だって妹という存在は姉にとっては所有物というか子分というか、言うことを聞くものだとしてインプットされているのですもの。私は全力でそれに立ち向かいケンカをしてきたわけですが、ようやく別々に暮らすようになってちょうど良い関係性になってきた気がします。物理的に距離がありますからね。

 たぶん世の中的には親子関係がいちばんそうなりがちというか、母という病が最たるものな気がしますが、うちの親は本当に独立性を尊重させてくれたというか、反抗しようと思った記憶もなければ大喧嘩をした記憶もないなぁ、とは思いますね。まあ最終的には何を言ってもコイツは変わらん、と思っていたのかもしれませんが。

 たとえばNと結婚したとして、そこの契約内容については互いに見つめていく必要があるし、ふたりで協力していく必要はあるけれど、私もNも所詮は他人なのだから、関係性の存続やお互いがお互いの満足する人生を歩んでいくための努力は惜しんではならないなぁと思います。契約条項の第一項はそこからだな!

 今日はここまで。